2019年12月法話 『普通の日々も私の大切な足跡』(後期)

師走を迎え、今年も残りわずかとなってきました。

テレビや新聞では「今年の十大ニュース」とか「今年の流行語大賞」など、一年を振り返る話題が賑やかに報じられています。

あなたにとってこの一年は、どのようなものだったのでしょうか。人生の節目になるような出来事があった方もおられるでしょうし、「取り立ててどうということもなかった」と言われる方もおられることでしょう。

一年の初めに計画を立てて、それがほぼ実現できた方もいれば、計画は立てたものの、あまり計画通りにはいかなかったという方。思いがけないことが起きて、それに引きずられているうちに一年が過ぎてしまったという方もおられるかもしれませんね。

私は、仕事の面でもプライベートの面でもいろいろなことがあり、充実した一年だったと思っています。

若い頃は、「いろいろなできごと(特に華やかなこと)に彩られることが、充実した人生というものだ」と、思っていました。しかし、年を重ねると、何でもない日々を丁寧に生きることこそが、充実した人生の中身た゜と思うようになってきました。

よくよく考えると、時々起こる非日常的で華やかなできごとも、すべて平凡な普通の日々の繰り返しに支えられていると言えるのではないでしょうか。

私の場合で言うと、

朝は少し早めに起きて読書。その後、朝食の準備をして身支度を整える。そして、本堂とお内仏での朝の勤行の後、朝食。日中は、子ども園や寺の仕事、その他の活動。夕方6時過ぎに帰宅し、夕食の準備と夕食。選択や掃除などの家事をして、入浴後10時頃には就寝。

とまあ、ごくごく平凡なことの繰り返しですが、先ほど述べたように、この繰り返しを丁寧に行うことこそが、私にとって人生の基本であると実感するのです。

ただ、その日々も自分一人の力で成り立っているのではなく、目に見えるもの見えないもの、様々な支えや助けの中に成り立っているのだと思います。

そんな平凡な日々も、縁次第では保てなくなるのが私たちの人生です。

ニュースなどで、平穏な老いの日々を思いがけない災害や不慮の事故で失い、途方に暮れておられる方々の声に接すると、本当に胸が痛みます。でも、それは特別な人の上に起きることではなく、いつでも誰にでも起こりうることです。

また、自分なりには、しっかりと歩みを進めてきたつもりでも、阿弥陀さまの目から見たらどうなのでしょうか。

「おおいなる もののちからに ひかれゆく 吾が足あとの おぼつかなしや」(『無憂華』より)

これは、九条武子夫人の詠まれた歌です。「自分なり」は時に「自己中心」となり、まわりの人を傷つける結果になっているかもしれません。それは、阿弥陀さまの目には、はなはだ「おぼつかない」足跡に映っているのではないでしょうか。

新しい年を前に、静かに今年の自分の足跡を振り返ってみる。その足跡を阿弥陀さまの教えに照らしていただく。

慌ただしい年の瀬ですが、そのような時間を持てたら、それはきっと新しい年の確かな歩みへとつながっていくのではないでしょうか。