亡くなられた方が喜ばれる法要について、気になるところではないかと思います。
まず法要とは「教えの要」という意味であり、仏教行事全般を表します。代表的なものに故人をご縁として営まれるお通夜、お葬式、四十九日、一周忌(年忌法要)などがあります。こちらは誰しも一度は参列した経験があるのではないかと思います。これら以外にも浄土真宗の開祖である親鸞聖人をご縁として営まれる報恩講、降誕会やそれぞれの所属寺にて営まれる特別なご縁、住職継職法要、落慶法要など色々あります。
ここでは故人をご縁とする法要について述べさせて頂きますが、亡くなられた方をご縁とする法要に対して、どのようなイメージをお持ちでしょうか。一般的には、故人があの世で良い報いを受けるために、遺された者たちがお供えをし、お勤めをするというイメージがあるのではないかと思います。
私の預からせて頂いている寺院でも、法要の予約の際に、お供えするもの(お布施の金額など)について、気にされる方がいらっしゃいます。そのお気持ち自体は有難いものですが、浄土真宗において先に往かれた方は、阿弥陀仏のおはたらきによって浄土の仏さまとして生まれていらっしゃいますので、私たちから何かしてあげるということは本来ございません。ですので、お布施の金額が高くなければいけない、お供えするものが豪華でなければいけない、という道理はありません。大切なことは、先に往かれた方を思い偲びながら、気持を込めたお供えをし、手を合わせて頂くことではないかと思います。
そして、何より大切なことは、その法要をご縁として遺された私たちが仏法に出遇っていくことです。私たちも先に往かれた方と同じように、いつかはこの世との縁を尽きていかなければなりませんが、決してそこで終わりではありません。必ず阿弥陀仏のおはたらきによって、先に往かれた方と同じお浄土に生まれさせて頂くことが約束されています。そのことを受け止めていくご縁として、法要を営んで頂ければと思います。そして、それが先に往かれた(亡くなられた)方が最も喜ばれる法要になるかと思います。