法事について

2020年6月、今年は新型コロナウイルス感染症の感染拡大により、多くの人が仕事やプライベートで影響を受けているのではないかと思います。テレビ、新聞でも連日「3密を避けること」「不要不急の外出を控えること」がさけばれ、ピークは過ぎたのかもしれませんが、まだまだ気の抜けない時期ではないかと思います。

 

自坊においても法事(年忌)のキャンセル、延期の連絡が多くありました。その中で個人的に気になったのが、県外在住のご門徒さんから「お布施をお送りますので、そちらで法事をお勤めしておいてもらえないでしょうか」というものでした。理由としては、年忌をお勤めしたいけれども。日本全国こういう状況で鹿児島に帰ってくる事ができない。また、今後いつ帰れるかも分からない。でも、年忌はしないと気分が晴れないというものでした。強い希望によりお受けさせて頂いたのですが、法事にご遺族がお参りされないのでは、法事の意味が失われているようでもあり、寂しくも感じました。

 

浄土真宗において法事を行う意義は、「亡き方をご縁として、それぞれに仏法と出会って頂くこと」にあります。ですから、法事の場に参詣し、手を合わせ「南無阿弥陀仏」とお念仏を称えて頂くことに大きな意味があります。決して先に往かれた方が、行き先で良い報いを受けてもらえるようにとか、現世で迷うことがないように、というものではありません。法事をあげてもらうという発想の中に、もしかすると後者のような受け止め方があるのかもしれません。

 

「亡き方の為に何かしてあげたい」という気持ちは有難いものですし、それが法事の目的になることも自然なことかもしれません。しかし、浄土真宗では、先に往かれた方は阿弥陀仏のはたらきによって既に浄土の仏様としてお生まれになられており、娑婆世界に住む私たちから何かしてあげるという道理はございません。

 

私たちに何かできるとしたら、それは先に往かれた方(仏様)が一番喜ぶことを行うことではないでしょうか。仏様が一番に喜ぶこと、それは私たちも浄土の仏様として生まれていくことです。仏様として生まれ、また私たちにご縁のある方々を浄土へ導くための手助けをすることです。その事を法事を通して受け止めていくことが大事ではないかと思います。

 

まだまだ、新型コロナウイルスの影響が消えないと思いますが、お互いに様に健康に気を付け、日常が戻った時、改めてご遺族とともに法事をお勤めさせて頂ければ有難いことだと思うご縁でした。

【確認事項】このページは、鹿児島教区の若手僧侶が「日頃考えていることやご門徒の方々にお伝えしたいことを発表する場がほしい」との要望を受けて鹿児島教区懇談会が提供しているスペースです。したがって、掲載内容がそのまま鹿児島教区懇談会の総意ではないことを付記しておきます。