「自粛警察」

今年の春から、中国発の新型コロナウイルスの感染があっと言う間に拡大して世界中を覆い、目に見えないウイルスの脅威が人びとを震撼させています。多くの国々では、感染の広がりを抑えるために強制力を持つ対策が発令されていますが、日本では4月になってから緊急事態宣言が出されました。ただし、これは外国のような強制力を持たないことから、人々の良識に期待する「自粛」によって補われている面がありました。

 

テレビである識者が、「日本人は、災害時など人びとが秩序を守り礼儀正しいある行動をする姿からも知られるように、非常時には自ら節度を守る良識のある国民性だから、外国のように法律を作って強制したり縛ったりする必要はない」と語っていました。それを裏付けるように、例年ならゴールデンウィーク期間中は大渋滞する高速道路は自動車がスムーズに流れ、大混雑する空港や駅の構内は閑散としていました。まさに、日本全土を自粛ムードが覆い尽くしていた感じです。

けれども、集団的な感染者の出ている地域は全国均等ではなく、大都市圏は連日のように一定数の感染者が出ていたものの、地方では何日も感染者が出ていなかったりしました。ところが、緊急事態宣言は全国に出されているため、全ての学校に対して休校要請が出されたり、「三密」を避けるために、飲食店、遊戯場など多くの人の集まる場所にも休業要請が出されたりしました。そのため、長引く自粛生活にストレスを感じる人が日を追うごとに増え、その不満が自粛に従わない人に対してぶつけられるようになってきました。

具体的には、営業自粛に応じないチンコ店の前で開店待ちをしている客に罵声を浴びせたり、詰め寄って写真を撮ったりするといった行為です。この他にも、ライブハウスや飲食店に脅迫めいた貼り紙をしたり、新型コロナウイルスの感染者が出た会社に嫌がらせの電話をかけるとか、他府県ナンバーの車にあおり運転や投石をするといった人たちもいたりしました。さらに、公園に子どもを連れて行っただけで警察に通報する人や、マスクをつけずに歩いていると絡んでくる人もいたりしたそうです。

このような行為をする人たちは、それが相手の人権や営業権を侵害し、暴行罪や脅迫罪、名誉棄損などにつながるという自覚は全くなく、力づくで自粛させ、要請に従わない者を取り締まろうとするのは「正義」を行使しているのだと信じているように感じられました。けれども、一方でこのような行為を犯す人たちは、「自粛警察」という言葉で揶揄されています。言い得て妙だな、という感じがします。

日常生活においても、正義の名のもとに相手の落ち度や非協力的な態度をとらえて一方的に叩くのは、学校や職場で起きるイジメの典型的なパターンですが、それと同じことが、より危険で悪質な形でいま各地に広がっているのです。戦時中の社会は、世の中の総意に添わない人が相互監視や密告によってやり玉に挙げられ、「非国民」という言葉で罵倒されるなど、相互不信に陥っていたことが伝えられています。緊急事態宣言が解除されても、それは未知のウイルスに対する脅威が消え去ったからではなく、このままで経済が完全に破綻してしまうからだということを誰もが知っているため、依然「自粛」の空気も世の中に漂い続けているかの感を否めません。そのためワクチンや特効薬が開発されて脅威が完全に消えるまでは、自粛が長引くことによって、ますます独善的な「正義」が暴走し、さまざまなトラブルが発生することが危惧されます。

本願寺第八世、蓮如上人は「たとえ自分に正義があると思えても、その自らの正義をどこまでも主張し続けて行くと、その過程で周囲の人を傷つけ、困らせ、迷惑をかけ、最終的には誰からも、あなたは間違っていると言われることになる」と注意しておられます。「自粛警察」言われるような人びとのあり方を見ていると、まさにその通りだなと思わずにおれません。

私たちが戦っているのはあくまでも新型コロナウイルスであり、同じ仲間(人間)ではないはすです。そのことを踏まえないと、「正義中毒」に陥ったり、みずからの正義感を暴走させたりする人が次々と現れるかもしれません。仏さまの教えは、「たとうるにこれ鏡のごとし」と言われますが、常に自身を省みることの大切さが改めて思われます。

 

 

【確認事項】このページは、鹿児島教区の若手僧侶が「日頃考えていることやご門徒の方々にお伝えしたいことを発表する場がほしい」との要望を受けて鹿児島教区懇談会が提供しているスペースです。したがって、掲載内容がそのまま鹿児島教区懇談会の総意ではないことを付記しておきます。