信号機の「緑」は、なぜ「青」と言う?

日常よく目にしている信号機ですから、「信号機の色は?」と尋ねられると、大半の人が「青・黄・赤」と即答することができると思います。けれども、そう言いながら内心「本当は緑・黄・赤だけど…」とつぶやかれるかもしれません。けれども信号の種類と意味が規定されている道路交通法施行令第一章、第二条で信号の色は「青色の灯火、黄色の灯火、赤色の灯火」と、まぎれもなく「青」表記されています。そう聞くと、思わず「法律にそう書いてあるのなら、緑ではなくちゃんと青にするべきではないか」と言いたくなってしまいます。

ところで、信号機の色はどうして「緑・黄・赤」なのでしょうか。電気式の信号機が世界で初めて設置されたのは、アメリカのニューヨーク5番街で、1918年で、このとき、すでに信号機の色は赤・黄・緑の3色が使われていました。注意喚起を主な目的とした黄は、赤と緑の中間にある色として採用され、雨や霧など視界が悪い中でも比較的良好に判別できることも、黄が使われた理由かもしれません。

なお、信号機の色は、海外でも日本と同じ赤・黄・緑の3色が使われていますが、これはCIE(国際照明委員会)によって、「信号機は赤・緑・黄・白・青の5色」と規定され、「交通信号機には赤・黄・緑の3色が割り当てられているから」です。そして、ほぼすべての国で信号機の「止まれ」には赤、前に「進んでも良い」には緑が使われています。

では、なぜ日本では信号機の「緑色」を「青色」と呼ぶのでしょうか。その理由には諸説あります。例えば、赤の対極にある色が緑ではなく青だからという説や、色の三原色である赤・黄・青が影響しているという説もあります。また、導入当初、新聞が「青信号」と表記したことをきっかけにその呼び名が世間に定着し、法令も「青信号」に書き換えられたという説もあり、今のところこの説が最も有力なようです。

それらの説の是非はともかく、日本人の伝統的な色の感覚は「白・黒・赤・青」の四原色であったため、「緑色」という概念が希薄でした。そして、「青葉」、「青りんご」とか「青々とした新緑」など、どう見ても緑色であるのものをあえて「青」と呼ぶ習慣が根強くありました。実際には緑色なのに、「青汁」といっているのも、その流れと言えそうです。そういったことの影響からか、当初は「緑信号」とよばれていたものの、やがて「青信号」という呼び名が自然に定着したということのようです。

ところで、日本ではいつ頃から「緑」を「青」と呼んでいたのでしょうか。『万葉集』に出てくる「あをによし」という表現(奈良の枕詞)では、「あを」は木々の新緑、「に(丹)」は寺社の朱色の柱を指し、色の対比を示しているという説があります(青丹という土の色という説もあります)。従って、緑色に見える物を「青」と呼ぶ習慣は『万葉集部』の時代より前からあったと思われます。

また、ある和歌の研究によると、「青(あを)」と「緑(みどり)」の区別がつけられ始めたのは平安時代末期(西暦1100年頃)と思われます。中国から「碧空」という表現を輸入した平安時代には、「青い空(あをきそら)」と表現する事に抵抗があったため、「みどりのそら」という表現をしたという説があります。これは「みどり」が「あを」と異なることを意識していたことの現れと考えられています。

にも関わらず、未だに「緑色」の信号機を「青色」と呼んでいることを「面白い」と思う一方、個人差はありますが、「赤・青・黄・緑」といった基本の色がわかるのは3歳頃だといれわれています。そうすると、色の名前を覚え始めた幼児に「信号機の緑を青ということをどう説明したら理解してもらえるのだろう」と考え込んでしまうことです。

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