2021年9月法話 『帰去来 大切な人たちの待つ浄土へ』(中期)

「帰去来」という言葉は、日本でも愛読されている中国の六朝時代(東晋末~南朝宋初)の詩人の一人、陶淵明(365年-427年)の「帰去来辞」の中の「帰去来兮、田園将蕪、胡不帰【帰りなんいざ。田園将(まさ)に蕪(あ)れんとす、胡(なん)ぞ帰らざる】」で有名です。「帰去来兮」の「去」と「来」は助辞で、「帰去来」は「さあ帰ろう」と自らを促す意味です。

陶淵明は下級貴族の出身で、生活のため29歳頃から数回官途についたもののすぐに辞し、以後召喚されても官職にはつきませんでした。41歳の時に再び士官して就いた県令の職もわずか80日で辞し、『帰去来辞』にその気持ちを託して故郷に帰り、以後は田園で農耕生活を送りました。

また、「帰去来」という言葉は、シンガーソングライターのさだまさしさんが、フォーグデュオグループ、グレープの解散後、半年間の休養を経た後に発表したソロアルバム1枚目のタイトルに用いたことでも有名になりました。

陶淵明の作品は、修辞の方面で魏晋南北朝時代の貴族文学を代表するきらびやかで新奇な表現を追求する傾向からは距離を置き、飾り気のない表現を心がけた点に特徴があるのですが、そのため同時代の文学者にはあまり受け入れられませんでした。けれども、唐の時代になると次第に評価されはじめ、宋代以降には、「淵明、詩を作ること多からず。然れどもその詩、質にして実は綺、癯にして実は腴なり」という高い評価が確立するようになります。

陶淵明の作品の作品が評価されるようになったその唐の時代に、親鸞聖人がお釈迦さま以降、お念仏の教えを大切に伝えて下さった方々として讃仰された七高僧の一人に善導大師(613年-681年)がおられます。その善導大師が、『観無量寿経』を註釈された『観無量寿経疏(定善義)』の中で、

「帰去来(いざいなん)、魔郷には停まるべからず。
曠劫(こうごう)よりこのかた流転して、六道ことごとくみな経たり。
到る処(ところ)に余の楽(たのしみ)なし。
ただ愁歎(しゅうたん)の声を聞く。
この生平(しょうびょう)を畢(お)へて後、かの涅槃の城(みやこ)に入らん」

と、述べておられます。この『観無量寿経疏』の文章を意訳すると

「さあ、浄土に帰ろう。決してこの迷ういの世界にとどまるべきではない。
私たちは今まで、無限の長い時間、ずっと迷いの世界である六道を生まれ変わり死に変わりし続けている。
あらゆるところをめぐってはいるが、どのようなところでも本当の意味での楽しみはまったくなかった。
ただ愁い嘆き悲しむ声が満ちているばかりであった。
この一生を終えた後は、極楽浄土へ生まれようではないか」

と、なります。

また、善導大師は『法事讃』の中では、

「帰去来(いざいなん)、他郷には停まるべからず。
仏に従いて、本家に帰せよ。本国に還りぬれば、一切の行願自然に成ず。悲喜交わり流る」

とも述べておいでです。

もしかすると、善導大師は陶淵明の「帰去来辞」を目にする機会があり、共感されるところがあったのかもしれません。なお、同じ「帰去来」という言葉でも、「帰去来辞」では「かえりなんいざ」、『観無量寿経疏』では「いざいなん」と、訓じ方が違っていますが、陶淵明は「故郷」、善導大師は「涅槃の城(極楽浄土)」へと、いずれも帰るべき場所に「さあ帰ろう」と自らを促している点では、その意味するところに変わりはないようですが、私たちの場合、浄土へは「さあ、往こう」といった感覚に誓いかもしれません。

ところで、ここで善導大師が「六道」といわれているのは、流転する迷いの世界のことで「地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上」の六つです。そのいずれもが「魔郷」であり、ただ嘆き悲しむ声だけが満ちていたと言われるのですが、「魔郷」というのは、多くの誘惑に満ちた魅力的な世界のことです。それらによって私たちは、この人生を空しく過ごしてしまうことに陥り、流転を繰り返すことになるのです。また「他郷」というのは、本来自分が居るべきではない場所ということです。

善導大師は、幼くして出家し、諸所を遍歴して『法華経』や『維摩経』を学んだ後、二十歳のとき七高僧の一人、玄忠寺の道綽禅師に師事し『観無量寿経』などの教えを受けられました。また、道綽禅師が亡くなられた後は、終南山悟真寺に入り厳しい修行に勤められ、中国浄土教を大成すると共に市街において民衆に念仏の教えを弘められました。もしかすると善導大師は、道綽禅師のもとで浄土の教えに出会われるまで諸所を遍歴して来られた自らの体験とも重ね合わせて、「帰去来」の言葉を用いられたのかもしれません。

善導大師は、帰るべき世界である真実の浄土に「さあ、帰ろう」と、自らにそして多くの念仏者によびかけておられるのですが、その浄土とは、私の帰るべき世界であると同時に、今月の言葉には「大切な人たちの待つ浄土」であることが示されています。

その「浄土」のことを仏教では、また「彼岸」という言葉で表現しています。「彼岸」というのは、涅槃に辿り着いた「向こう岸」のことで、語源はサンスクリット語の「param(パーラム)」とされています。なぜ「向こう岸」と「涅槃」が同義で語られるのかというと、仏教では悟りの境地に達した先に「涅槃」があるとされています。超克すべき煩悩や迷いが川に譬えられることから、煩悩の川の「向こう岸」にある世界として「涅槃」=「彼岸」と受け止められたようです。

では、なぜ浄土が「大切な人たちの待つ」世界として位置づけられているのでしょうか。

それは、阿弥陀仏が「念仏せよ、救う」と、私たちによびかけておられる「救い」とは、私が阿弥陀仏のその教えを聴いて信じ、願いのはたらきによって浄土に生まれて悟りを開くことだからです。つまり、先に亡くなられた方々は、命を終えてどこに往かれたのかというと、阿弥陀仏の願いのはたらきによって、「彼の岸」阿弥陀仏の浄土に生まれて往かれたのです。

テレビを見ていると、亡くなられた方のことを話題にする場合、ほとんどと言ってもいいくらい亡くなられた方は「天国」にいるものとして語られます。けれども、天国は生前にキリスト教の教えを信仰していた人たちが行かれる世界です。日本人のキリスト教人口は1%程と言われていますので、誰でも天国に行かれるわけではありません。ましてや、仏式の葬儀をされた方に対して「今ごろ天国で…」と言うのは、いかがなものかと思われます。なぜ、そのようないい加減なことを口にしてしまうのかというと、それは自身のいのちの帰する世界を見出していないからだと言えます。

先に往かれた私の大切な人たちは、いったいどこに往かれたのか。浄土真宗では、はっきりと「浄土」と言い切っています。親鸞聖人が語られる「往生」とは、死ぬことでも困ることでもなく、「浄土に向かって日々生まれて往く」ことです。

「私のいのちの帰する世界は、阿弥陀仏の浄土だ」と言うことをきちんと自覚することによってはじめて、「さあ帰ろう、大切な人たちの待つ浄土へ」という言葉の語りかけに、深く頷くことができるのではないかと思います。