おのずから響いてくる言葉

いま、この人からしか聞くことのできない言葉にであうことがあります。あるいは、いっとき、また長い間、忘れていたのに、フッとした瞬間、蘇ってくる言葉にキャチされることがあります。

言葉の先端が私に届いて、ああいい言葉だなぁと内奥に入ってくるような言葉。

「話し言葉」でも、「書き言葉」でも、自分のなかに留まっていて、のちのち「動き出す」ような言葉。その一言の言葉の上に、その方の人生の深みや重みが乗っかっているような言葉。

 

そのような言葉を「おのずから響いてくる言葉」と名付けてみて、以下、10ほど記してみます。

(お墓参りに、片道2時間かけて来られて)

「車で2時間は遠いですね。」

「いえいえ、ここは本当に落ち着くふるさとですから、遠くないんですよ。」

(もう15年ほど前、帰省してきた3歳のお孫さんの一言)

「おばあちゃん、今日、ここで、このカタツムリを見れたということが、私の宝」

「孫が二十歳になったら、覚えているか聞いてみようと思っています。」

(法事を終えて)

「木を見て森を見ず、ということわざがありますが、法事というのはこのことわざの通りですね」

(一日の終わりのビールのために)

「何は忘れても、コップを冷やすのは忘れないんですよ。」

(約35年前に聴いていた早朝のラジオ番組)

「心に愛がなければ、どんなに美しい言葉も、相手の胸に響かない。聖パウロの言葉より。」

(屋根のトタンはり替えの現場で)

「屋根とか水回りというのは、我々でいうヘルメットだから大事なんですよ。」

(ふすま職人さん)

「腕一本で食っていける仕事をしたくて、親方に弟子入りして、こんにちがある。」

(御礼の言葉)

「大変、つらいことでしたが、今は時間が経つのをまって、やっていこうと思います。お心遣いありがとうございます。」

(あるご住職)

「この猫は、今は人なつっこくしているけど、最初は警戒心が強かったんです。幼いころに傷ついたことがあったのかもしれない。その傷つけられた痛みは無くならないのかもしれないけど、その痛みを超える温かさに触れたから、人になついてくるんだろうね。」

(法事を終えて)

「齢80にもなると、昔のことがしきりに思い出されてきて。今日は法事ができて良かったです。ほっとしました」

 

いずれも、いま、この人からしか聞くことのできない言葉として、私のところに留まり、思い出すと響いてくる言葉です。

最後に、オンライン(ON・LINE)という言葉がインターネット用語にあります。私たちは、お互いに、おのずから響いてくる言葉の流れ(LINE)に乗っかって(ONして)、できるだけたくさんの温かさに触れていくことが心豊かに生きる技法なのではないか、と思うのですが、いかがでしょうか。これも、オンラインつながりです。

【確認事項】このページは、鹿児島教区の若手僧侶が「日頃考えていることやご門徒の方々にお伝えしたいことを発表する場がほしい」との要望を受けて鹿児島教区懇談会が提供しているスペースです。したがって、掲載内容がそのまま鹿児島教区懇談会の総意ではないことを付記しておきます。