人間にとって心の安らぎがほしいと思うのは、そういう平常心の時ではありません。
なぜなら、平常な心が保たれているに時は、あえて欲しなくても安らかな心でいることが出来るからです。
ところが、私たちが心の安らぎを求めるのは、普通の時ではなく非常の時です。
けれども、最も安らぎを必要とするその非常の場合には、実はいかに努力をしても心は安らかにはなりません。
心が動転している時は、念仏をいくら称えても心は安らかにはならないものです。
例えば、事故や災害に見舞われた時など、そのような場では心が安らかになることはまずあり得ないのではないでしょうか。
しかし、私たちが本当に心の安らかさを求めるのは、まさにそのような非常の時です。
このような観点から、親鸞聖人は
「人間はいかに努力をしても、絶対的な安らぎを得ることは不可能だ」
といわれたのです。
私たちは、日々の生活の中に心の安らぎを求めるのですが、その心の安らぎを究極までつきつめてみると、人間には誰一人として絶対に砕かれない心の安らぎを持つことなどあり得ないというのが、
「心の安らぎ」
の求めに対する親鸞聖人の答えになります。
また
「人間である限り、正しい生き方をしなければならない」
これも人間として当然のことですが、仏教ではこれを
「善行」
といい、この善行に勤しむことこそが仏教の基本だといえます。
仏教の教えを簡潔に言い表した
「七仏通誡偈(しつぶつつうかいのげ)」
という偈があります。
七仏というのは、お釈迦さまがお生まれになるまでに過去世に六人の仏さま方が世に出ておられるので、お釈迦さまを含めた七人の仏さまということです。
このように、今まで過去世に七人の仏さまがいらっしゃったことになるのですが、その仏さま方が共通して人々に教えられたのが
「もろもろの悪をしてはならない。
もろもろの善はすすんで行いなさい」
ということです。
したがって
「善いことをして、悪いことをしてはならない」
これが、一切の仏教に共通する教えだといえます。
このような意味で、仏教の教えの根本は、ごく当たり前のことだといえます。
極めて簡単であって、よいことをして悪いことをしない、これ以外に仏教はないと考えればよいのです。
しかもこのことは、実は一切の人間に共通する、最も基本的な問題だといえます。