私の体験を少し申し上げます。
私は三十四年と十カ月、龍谷大学に勤めておりました。
その前に神戸の女子学園の高校で八年間教員をしておりました。
ところが、六年目の四月に保健の先生から
「先生、この間学校の集団健診をしたのですが、両方の肺が曇っています。精密検査をしてもらわないといけません」
と言われ、精密検査をしましたら、保健の先生から
「すぐ入院して下さい。かなり進んでおります」
ということでした。
大阪と京都の間にある高槻の療養所で、一年十カ月療養いたしました。
もう結核は怖い病気ではありませんでしたが、それでも病状が進んでおりましたので、手術はできない、絶対安静だといわれました。
明けても暮れても個室でじっと寝ておりました。
基本的には、ひたすらじっと寝ているという生活が続きました。
その時に気付いたんですが、今までは忙しい忙しいと向こうばかり見て走っていました。
ところが病気をして五月に入った頃、美しい山の中の療養所ですから、いろいろな花が咲き始めます。
その窓から見える外の景色をじっと見ておりました。
家内が鉢の花を持ってきて安静の時間に水をやるんです。
その時に「あらゆるいのちが生きているんだな。花も草も庭の木々も、みんな一生懸命生きているんだな」と思ったんです。
それまでは忙しいので、立ち止まって緑や花の美しさに心を止めるというようなことはありませんでした。
ところが、今そうしてこの自然の周りに私が身を置いて六月、七月と経ちまして、草花がまた形を変えて行くのを目にしますと
「全部が一生懸命生きているんだな。
その生きているいのちの真っただ中に私が生活しているんだな。
今まで気付かなかったけれども、その中に自分があるんだな」
と気付かせて頂きました。
その時期はある意味で人生の挫折の時でありました。
しかし今思いますと、あらゆるいのちに生かされているんだなということを教えて頂いた時期だと思えるのですね。
友達も心配して見舞いに来てくれますし、学生さんも見舞いに来てくれました。