童謡『ふるさと』
兎、追いしかの山
小鮒(こぶな)釣りしかの川
夢は今もめぐりて
忘れがたきふるさと
如何(いか)にいます父母
恙(つつが)なし無しや友垣(ともがき)
雨に風につけても
思い出ずるふるさと
志を果たして
いつの日にか帰らん
山はあおきふるさと
水は清きふるさと
先日の夕方、なんとなくテレビをつけていたら、画面から『ふるさと』が流れてきました。
久しぶりに耳にした『ふるさと』。
とても懐かしい気持ちになりました。
私の幼かった頃、夕方5時になると近所の小学校から、毎日『ふるさと』の音楽が流れてきていました。
団地中に響き渡る音楽。
どこで遊んでいてもちゃんと聞こえてきます。
この音楽がお家に帰る合図のようなものでした。
夏休みは、ラジオ体操を終えて、家に戻ると9時になるのが待ち遠しいものでした。
(9時を過ぎなければ友達の家に遊びに行ってはダメとしつけられていたので)
9時になると近所の同級生と外で遊びまわります、お昼まで遊びます。
そしてお昼ご飯のため、いったん帰宅。
そして、また遊びに出かけるのです。
夕方、5時になり、小学校から『ふるさと』が流れてきます。
そこで、お友達とはお別れするのです。
「また遊ぼうね〜、また明日ね〜」って。
家に「ただいま〜」って帰ると、夕ご飯の香りが玄関にまで漂っていました。
そして、夕食時には、その日あった出来事など他愛もない話しを沢山しました。
・・・・・数十年たって。
今では、仕事もあったり、友達との付き合いもあったりで、家族みんなで夕食をとる時間というのは本当少なくなってきました。
友達、同級生と朝から、夕方まで思いっきりはしゃぎ遊び回るということもなくなりました。
大人になるということは、こういうことなのかもしれません。
でも、『ふるさと』を聞いたときに、
なんか、なつかしいのだけれど、もの悲しいような、なんとも言葉では表現しがたい気持ちになったのです。
時の流れることの早さであったり、歳を重ねていくむなしさであったり。
(歳をとるということを悪いと言っているのでは決してありません。)
様々のことが頭をめぐり、しばらく「ぼーっ」となってしまいました。
あの頃、幼かった、私がもういい大人。
おばさんと世間では言われてもおかしくないような年齢になりました。
ということは、父も母も、祖母も、周りも、みんな、もちろん私と一緒に歳をとってきているんだな〜っという、誰もが理解していることを、今さらながら改めて気付かされました。
『ふるさと』のメロディーと歌詞を通して、今、私が思うこと。
ただ過ぎていく日常なのではなく、父、母、祖母はもちろんのこと、私に関わる全ての人に、感謝し恩返しをしていけるような生活を送っていきたい。
そのような人間に成長していけるよう日々努力をしていきたい。
「心を磨いていきたい」と、思います。