「火事じゃないか」廊下に立って、覚(かく)明(みょう)は、手をかざしている。
空は、ぼやっと白かった。
夜霞のふかいせいか、月の明りはさしていながら、月のすがたは見えないのだった。
「そうよな……」性(しょう)善坊(ぜんぼう)も、眉をよせて、
「五条あたりか」
「いや、川向うであろう」
「すると、師の房の参られたお館に近くはないか」
「離れてはいようが、心もとない。上洛(じょうらく)中の鎌倉の大名衆や執権の家人(けにん)たちが、一堂に集まって、夕刻から、師の房に、法話をうかがいたいというので参られたのだが……」
「おぬし、なぜ牛車(くるま)と共にお待ち申していなかったのじゃ」
「でも先方で、夜に入(い)れば、必ず兵に守らせて、聖光院(しょうこういん)へお送り申し上げるゆえ、心おきなく、帰れというし、師の房も、戻ってよいと仰せられたから――」
「万一のことでもあっては大変じゃ。ちょっとお迎えに行ってくる」
「いや、わしが行こう」
覚明が、駈け出すと、
「覚明、覚明、今夜は、坊官の民部殿もおらぬのだから、おぬし、留守番していてくれい」
性善坊はもう、庫裡(くり)の方から外へ出ていた。
町へ近づくと、大路(おおじ)には、しきりに、犬がほえている。
しかし、空の赤い光をたよりに駈けてきたが、加茂川の岸まで来ぬうちに、火のいろは消えて、その後ろの空が、どんよりと暗かった。
ばらばらと、辻から出てくる町の者に、
「凡下(ぼんげ)、火事はもう消えたのか」
「へい、消えたようでございますな」
「どこじゃったか」
「六条の、なんとやらいう白(しら)拍子(びょうし)の家と、四、五軒が焼けたそうで」
「ははあ、白拍子の家か。――では、近くに、貴顕のお館(やかた)はないのか」
「むかしは、存じませんが、今はあの辺り、遊女や白拍子ばかりがすんでおりますでな」
「やれ安心した」
ほっとしたが、凡下のことばだけでは、まだ何となく不安な気もするし、もう、師の房の法話もすんだころであろうと、性善坊は、走ることだけはやめて、足はそのまま五条の大橋を北へ渡って行った。
橋のうえから北は、さすがに、混雑していた。
いつまでも去りやらぬ弥次馬が、遊女町の余燼(よじん)をながめて、
「また、盗賊の仕業か」
「そうらしいて。悪酔いして、乱暴するので、遊ばせぬと断ったところが、手下どもを連れて、すぐひっ返し、見ているまえで、火を放(つ)けて逃げおったということじゃ」
「なぜ、見ていた者が、すぐ消すなり、人を呼ばぬのじゃ」
「そんなことをすれば、すぐあだをされるに決まっとるじゃないか。鎌倉衆のお奉行ですら、あいつばかりは、雲や風みたいで、どうもならん人間じゃ」
そんな噂をしあって、戦慄をしていた。