岡崎の草庵の地は、松に囲まれた林の蔭で、その松のあいだから白河(しらかわ)の流れが透(す)いて見えた。
うしろは、神(かぐ)楽(らが)岡(おか)の台地である。
近(この)衛(え)坂(ざか)を下る人の姿が、草庵の台所から小さく望まれるのであった。
綽(しゃっ)空(くう)は、毎日、その坂を越えた。
吉田山から鳥居大路へ出て、吉水(よしみず)の禅房へ通うことが、どんな風雨の日でも、休みなき日課であった。
もちろん、炊(かし)ぎのことも、朝夕(ちょうせき)の掃除も、まったくひとりでするのであって、まだ筧(かけひ)が引いてないので、飲水(のみみず)は白河へ出て汲んでくる。
冬空の星を仰いで、吉水から帰ってくると、いつも夜はかなり遅くなった。
それから薪(まき)をくべたり炊ぎをしたりするので、寂(せき)として独りで粥(かゆ)をすするころには、もう、洛内のすべての灯が消えて、天地の中には、ここに粥をすする独りの彼のみが起きているのではないかと思われるような時刻になってしまう。
「はての?……」
ある日の夕方である。
綽空は、草庵の戸を開ける前に、ふしぎな思いに打たれて辺りを見まわした。
今朝、草庵を出る時は、落葉で埋まっているほどだった門口が、きれいに掃かれていて、しかもその落葉まで一(ひと)所(ところ)に集めて焼いてある。
裏へ廻れば、水桶には水が汲みたたえてあるし、板敷も拭き潔(きよ)めてあるではないか。
また、屋内へ入って見てから、綽空はさらに眼を瞠ってしまった。
燭の灯皿には、油がつぎいれてあって、付木の火を移せば足りるばかりになっているし、夕(ゆう)餉(げ)の膳までもそこにできていた。
「誰であろう」と、考えこんだ。
この草庵へ移る時に、実直に手伝ってくれた近くの農家の夫婦か――でなければ聴法(ちょうほう)の席へ来るうちの信徒の者か。
「いぶかしい」
誰を挙げてみても、思い当る者はなかった。
同時にまた、その人の思いだせないうちは、この夕餉の箸も、取ってよいか悪いかに迷わずにいられない。
だが、行きとどいた細かい心づかいは、すべて、好意の光であることに間違いない。
その好意に対して、徒(いたず)らな邪推や遅疑(ちぎ)を抱くべきではあるまい。
綽空はそう解して、箸を取った。
翌る日もそうだった。
次の夜も帰ってみると草庵は清掃されてあった。
それのみではない。
薄い夜の具(もの)に代って、べつな寝具が備えてある。
決して、ぜいたくな品ではないが、垢(あか)のにおいのないものであった。