聖人(ひじり)も俗人も、本来、人間の相(すがた)というものは一(ひと)つである。
いわんや女人、いわんや悪人、なんの差別があろう。
むしろ、そういう人々こそ、念仏門は、よろこんで迎え入れ、求(ぐ)法(ほう)の悩みに答えたい。
いかにせば、よくこの先を、人生を、よく往(ゆ)いて生き得るか――共々に考えよう、念じよう。
悪人もこい、女人も参り給え。
また、在家の方々よ。
従来の聖(しょう)道(どう)自力の僧は、やたらに自分にも行いがたい禁慾を強いる。
いたずらに、物絶ちをもって、清浄(しょうじょう)とし、形式にばかり囚(とら)われて、実はかえって、裏には大きな矛(む)盾(じゅん)を秘しているようなことになる。
浄土門の易(い)行(ぎょう)道(どう)では、そういう似非(えせ)聖(ひじり)の真似(まね)をもっとも嫌う。
ありの相(すがた)のままを清浄とする。
肉もよし、酒もよし。
女人を男性が持つ、女人が男性を持つ。
これも自然の人間の相(すがた)のままを尊ぶ。
おのずからそこには男女の道というものがある。
道を外(はず)さぬほどならばよい。
在家の方々よ。
それでよろしいのだ。
職業も、他の生活も、そのありのままで、お身たちは立派に「往生」することができる。
菩(ぼ)提(だい)にいたることができる、聖(ひじり)たることができる。
むずかしいことではないのだ。
それには、ただ念仏を仰っしゃればよい。
それも、勤めを苦にして称(とな)えることはない。
思い出したらいうがよい。
一日一遍(いっぺん)でも、また、申したくなったら千遍でも、なお万遍でも。
烏帽子(えぼし)討ちが職業であったら烏帽子を打ちながらいってもよい、弓師であったら弓を張りながらいうもよい、眠りの前にふといいたくなったら一声でも胸のうちでいうもよい、茶碗を持つ時、何かおのずから称(とな)えたくなったら箸を持ちつつ胸のうちでつぶやくのも立派な行(ぎょう)である。
新しい教門の祖師法然はこういうのであった。
従来の教えとは較べものにならないほど平民主義だ。
また、実社会というものを尊重している、人間の生活というものを本義にしている。
法然の教義では、決して、信仰のために、個々の生活を変更させたり、ゆがめたりはしない。
宗教のための社会のようには存在しないで、むしろ、社会のための宗教、社会機能のうちの宗教として、立場を、今までの叡山や他の旧教団体の尊傲(そんごう)な君臨のしかたとはまるで地位をかえて、民衆のうちの僧侶として、門は開かれているのである。
果然。
(これこそは、ほんとの宗教というものだ)
民衆が支持するし、知識階級もうごいてくる。
当然な、新勢力となってきたのである。
法然が作ったわけではない。
また、法然門人の人々がこしらえた勢力でもない。
時代が生んだものである。
だが、新しいものが興ることはそれだけずつ、旧(ふる)いものの勢力が侵蝕(しんしょく)されることだった。
(仏敵が現れたぞ)と、叡山では見ている。
叡山は、その大きな権力と、自尊心から、度々、これを問題に取りあげて、いわゆる「山門の僉(せん)議(ぎ)」をひらいて、
(まず、態度のあいまいな、慈円僧正から先に座主(ざす)を退(ひ)いてもらおう)
と決議文を作って、挑戦の気勢としたらしい。
時の叡山の座主は、慈円僧正であった、僧正と月輪禅閤とは肉親である。
その月輪公は、吉水の檀徒のうちでも、最も熱心な念仏の帰依者であるばかりでなく、その息女の玉日姫は、元の範(はん)宴(えん)少僧(しょうそう)都(ず)――今では善信といっている青年僧と結婚して――大きな社会的問題の波紋を投げている者の妻となっている。
その善信も、元は叡山に学び、叡山に奉じていた裏切り者である、それが今では吉水へゆき、法然に参じ、月輪公の聟(むこ)となり、座主(ざす)の僧正とも、縁につながる者となっている。
(売教徒め!)
ここにも、彼らの感情や、憤恨があった。