『かぎりなき光をうけてここにあり』(前期)

昨年12月にお寺の新納骨堂が完成いたしました。

10数年前に建てられた旧納骨堂がいっぱいになり、ここ数年

「納骨堂を新しく建てないのだろうか」

という問い合わせが増えてきていました。

そのご要望にお応えする形で新に建てた次第です。

今から2年前に、実際にどのくらいの方々が納骨堂を希望されているのかを把握するためにアンケートをとりましたところ、予想以上に多くの人が希望されていることがわかりました。

10数年前に納骨堂が出来た時には、まだ必要はないと感じていた方々も、それから10年が経ち

「足が痛くなった」

「腰が痛くなった」

等々の理由で、十分にお墓にお参りできなくなったという人。

また、子どもが遠くに住んでいて、もう地元には帰ってこないので、墓を将来見てくれる人がいない。

それが不安でという声も多くありました。

お彼岸やお盆になりますと、多くの人々が県外から帰ってきて、納骨堂にお参りにこられます。

しかし、遠く離れていると、なかなか頻繁に帰ってお参りするというのは厳しいのが現状のようです。

だからこそ今、将来のことを考えて、納骨堂を求める人が増えているのです。

鹿児島は、特にお墓を大切にする土地柄であり、お花が常に綺麗にお供えされています。

県外からきた方々がよく感心しておられます。

墓地・納骨堂にお参りし、先祖を偲ぶとともに、そのことを通して我が命の有り様を静かに見つめさせていただける場所がお墓・納骨堂なのでしょう。

お念仏のみ教えを大変喜ばれた人を

「妙好人」

と呼びます。

その妙好人の一人で、讃岐の庄松さんは、生涯独身でありました。

その身寄りのなかった庄松さんが病床に臥したとき、お見舞いにこられた方が

「あなたが亡くなったら、立派なお墓を建ててあげましょう」

と言うと、庄松さんは

「おれは石の下にはおらぬぞ」

と言われたそうです。

お墓にお参りするということは、亡き人を偲び、我が身を省みるという意味でも尊いことです。

凡夫の情という意味においても、亡き人のお骨という形あるものとして繋がる大切な場所です。

しかし、その一方で庄松さんが仰ったこの

「おれは石の下にはおらぬぞ」

という言葉も大切にしたいものです。

私は、死んで墓石の下にいるのではなく、いのちの縁が尽きたと同時にひかりといのち極みなき浄土に生まれ往き、仏と同じ悟りをひらかせていただき、この娑婆世界に還りきたりて生きとし生くる全ての者を救うはたらきをさせていただくのだということでありましょう。

「どうぞ、仏さまの智慧の光に照らされて生ききる人生を歩んでくださいよ」

と、お伝えくださったことと頂くことです。

阿弥陀如来さまの智慧の光に照らされ、お慈悲のぬくもりの真っ只中で生かされているわたしのいのちであると聞かせていただくとき、日々安心して生き、安心していのち終わっていくことのできる人生がひらけてくるのではないでしょうか。

阿弥陀如来さまの大いなるはたらきのなかに今、私は確かに生かされてあるのです。