めずらしいことではない、鈴虫が身をわななかせて訴えるようなことは、松虫も幾たびか経験していることなのである。
しかし、鈴虫は、今日のその口惜しさだけを悲しんだり泣いたりするのではなかった。
そういう陰険な悪戯(いたずら)や邪視の中に、毎日を暮していなければならない自分の青春を傷(いた)むのであった。
「こんな中に幾年もいるうちには、今に、自分も、あの意地わるな御老女のようなねじけた人間になるんでしょう。そして、自分でもそれを不思議にしないようになるんでしょう。私は、怖ろしいと思います」
膝にすがって、そう泣きふるえている鈴虫のことばは、松虫にも、深刻に考えさせられることだった。
何も、感激のない生活――それだけでも人間は苦しいのに。
この後宮を見まわして、どこに、真実の人間らしい生活が少しでもあるか。
飢えや、寒さや、汗を流すことを知らない世界には、また、人情の発露もない、同情の涙もない、物に対する欣びもない。
すべてがカサカサなのだ。
有り余るものは、腐(す)えたる脂粉(しふん)のにおいである。
絖(ぬめ)や錦(にしき)や綾にくるまれた棘(とげ)である。
珠に飾られた嫉視(しっし)や、陥穽(かんせい)である。
肉慾ばかり考えたがる彼女らの有閑である。
「もう、泣かないで……」
松虫は、そのくせ自分も共に、泣いているのだった。
抱(いだ)き合って、
「もう、泣きますまい。泣いたとて、この運命が、どうなりましょう」
「阿難(あなん)を伴(つ)れた釈尊が、ふいに、この御所へ来てくれないものでしょうか」
「ほんに、いつか鹿ケ谷で聴いた法話を思い出しますね」
「ここに、釈尊がお出であそばしたら、何というでしょうか」
「眉をひそめるでしょう」
「印度(インド)の何とかいう王子のお城の中で仰っしゃったように、私たちの生活に面(おもて)を反(そむ)けるに違いありません。……ああどうにかならないでしょうか」
「どうにかとは」
「生きることです」
「でも、生きてだけはいるではありませんか」
「いいえ、これは、人間の生きているすがたではありません。私たちは息をしている空骸(なきがら)です。
これも、鹿ケ谷のご説法でうかがったように、往生(おうじょう)――往(ゆ)きて生きん――という道まで行かなければ、ほんとの生命(いのち)は呼吸(いき)をして参りません」
「あなたは、そんなことを考えますか」
「考えます。――寝てもさめても」
「鈴虫さま」
ひしと抱きしめて、その耳へ、松虫は熱い息でささやいた。
「ほんとに」
「え。ほんとに」
「逃げましょうか」
「…………」
塗りぼねの妻戸の外に、さらさらと衣(きぬ)ずれの音が通った。
後宮の夜を見まわる恐い老女官であろう。
二人は、息がとまったように、じっと眼をすくまていた。
「……誰にも覚(さと)られてはいけませんよ。隙を見て」
「え……」
「だから、泣かないで」
ふっと、そこの灯りが消えると、松虫は跫音(あしおと)を忍ばせて、自分の部屋へ帰って眠った。
※「妻戸(つまど)」=家のはしにある開き戸。寝殿造りの殿舎の四すみにある両開きの板戸。