素焼の酒瓶と、素焼の盃が、山伏たちの手から手へ移されていた。
「まず、物見の報(し)らせがあるまで、英気を養っておくがいい」
と、弁円も、幾杯か傾けて、朱泥のように顔を染めていたし、他の者も、毒がまわったように、酔いしれているのだった。
その酒の気が、言葉となって、一人がいう。
「思えば、業(ごう)の煮える奴や、あの親鸞。――越後の片田舎から流れてきて、わずか、八、九年のあいだに、優婆塞の聖壇十六坊の信徒を荒らし、われわれの行法の光をこの近国から奪い去ってしもうた」
「そればかりでない」
と、いったのは、総司の弁円だった。
「この播磨公弁円ともあろう者が、親鸞ごとき堕落僧に行力及ばぬものと噂され、この近国の地盤をかすめられては、何よりも、本山聖護院へ対して、この弁円の顔向けがならぬ。大きくは、日本国中の修験者の恥辱ともいえる。――今日こそは、孔雀明王も照覧あれ、この身が帯びる破邪の戒刀をもって、売僧(まいす)親鸞の首根を打ち落し、生き血を壇にお供えする」
「一七日のあいだに、一万度の護摩を焚いて、祈りに祈り、呪いに呪った験(しるし)もなく、なおこの上柿岡へ立ち越えて、愚婦愚男をたぶらかそうとする親鸞も、この板敷山の嶮路(けんろ)へかかるが最期」
「そうよ!摂政関白の聟になったことのあるのを鼻にかけて、白昼、都の大路を歩いた気で、この東国は歩かせぬ。――あの折は、この弁円も見のがし、また、次の河内の太子廟でも、むなしく彼奴(きゃつ)を取り逃がしたが、今日はそうはさせぬ。――あのころは、まだ、弁円一人の私怨であったが、今日となっては、私怨ではない。――修験道と念仏道との争いなのだ。彼の他力と、われの行力と、いずれが勝ち、いずれが敗るるか、分け目となった――やれ在家往生の、念仏なんのと、有難なみだに曇っている痴呆(たわけ)どもに、この板敷山の谷底で、鳥、狼の餌となって食い荒らさるる親鸞の終りを見せてくれたなら、少しは、念仏の末路と、極楽往生の夢がやぶれて、よい薬になるだろう、これこそ真(まこと)の衆生済度というものだ」
飽くなき罵詈(ばり)だった。
舌の先からめらめらと紫いろの毒焔が見えるような――。
折もあれ、遠く――
「やっ……法螺の音(ね)」
皆、黙った。
麓のほうからかすかに貝の音がながれたのである。
「合図らしいぞ」
杖をつかみ、戒刀のつかを握って、山伏たちは一斉にそこを立った。
――だが、それきりで、貝の音はすぐ止んだ。
そこから見える松の上の物見は、手を振って、
(まだ、まだ)という意味を示していた。
そこへ、稲田の禅房へ、朝から密偵に行っていた一人が、杖を横にかかえて、喘ぎ喘ぎ駈け登ってきた。
*「孔雀明王(くじゃくみょうおう)」衆生を救う徳と孔雀によってあらわす仏の化身。