「どうだった様子は」
と、面々は急(せ)いて訊く。
「見届けてきた。――例によって、親鸞は、今日も夜明け方に稲田の草庵を出、柿岡の説教に参って、やがて帰る時刻はいつも陽のあるうちの夕刻ということ。稲田の弟子どもは、首を長くして、待っている様子であった」
「では否(いや)おうなく、笠間新治(かさまにいばり)にかけて、この剣の関所は通らねばならぬはずだな」
「陽あしの様子――追ッつけ間もあるまい、そろそろ、手わけにかかろうか」
「待てまて、柿岡の説教場へも、こっちの密偵が行っている、何か報(し)らせてくるだろう」
と、弁円は、刻一刻と、血相に殺気をたたえてきて、
「甲賀坊、矢頃の所へ逆茂木(さかもぎ)は」
「抜かりはございませぬ。――しかも逆茂木打った道へは、八重十文字に素縄を張りめぐらし、その上に墜(おと)し穽(あな)まで仕掛けてありますれば」
「ウム、入念だな。多年の鬱懐(うっかい)もこの一瞬に晴らすか。そのせいかあの雲、血のように筑波の空をかけて赤い――。オオ、筑波といえば、あれへ来るのは柿岡へやった野武士たちらしい」
待ちかまえている所へ、毛皮の胴着に、野刀を佩いた荒くれ男が四、五人、息をせいて、
「弁円殿、ここにか」
「待ちかねていた。柿岡は」
「説教が終って、もう立った。念のため、途中まで見えがくれに尾(つけ)ながら来たのだ。今しも、この先の渓間(たにあい)を、野馬に乗って参るのが親鸞」
「なに、もう下の渓道まで来たと? ……して、親鸞の身を守る弟子どもは、五人か、十人か」
「一人」
「えっ、一人?」
「生信房というて、元、京都から中国四国にまでわたって、悪名をとどろかせた天城四郎が成れの果――今では頭をまるめている弟子坊主が、親鸞の手綱を取って、毎日、ここを越えて柿岡まで通うている」
「あっ……四郎がか」
と、播磨公弁円は、遠い過去の彼を思い、また、最後に四郎とわかれた加茂川堤の時の宿怨を胸に新たにした。
親鸞といい――その四郎の生信房といい――共に弁円の心頭をあおる毒炎の中(うち)の仇敵である。
その怨みのふかい人間が、共に、連れ立って来るというのも、何か、今日という鬱懐をはらす日の特異な宿命のように考えられる。
「ウーム、そうか」
弁円は太くうめいて、もう体を武者ぶるいが走ってならないように、手に持っていた半弓を、ぶん、ぶん、と二、三遍弦鳴りを試みながら、
「一の手は、甲賀坊。――二の手、山の手、みな抜かるな」
と、下知(げじ)した。
鹿を狩るように、一同はわらわらと駈け散って、おのおのの部署へ身をひそめた。
筑波の野武士たちは、三の手になって、野刀を閃(ひら)めかせながら、岩蔭や、草むらへ、影をかくした。
――かくて親鸞の来るのを、今か今かと板敷山の草も木もみな息をひそめたかのように、しいんとして待ち構えていた。