親鸞 2016年9月24日 

 そこで白湯を一碗のむと、親鸞は、もう八分どおりまで竣工(でき)かけている伽藍の足場の下まで行って、

「見事な棟木、結構な欄干、これはちと贅沢じゃの」

と、つぶやいたり、

「来るたびに、眼にみえて、作事が進んでいる。これ皆、有縁の方々の尊い汗、贅沢とはいわれまい、信仰の集積、ただ、この伽藍が親鸞ひとりの隠居所となっては、いかい贅沢じゃ、そうならぬように、親鸞はこの棟木を負うた気で住まねばならぬ」

そんなことも、独り言のようにいった。

 証信房は、側から、

「先ごろ、京都(みやこ)へのぼられた真仏御房が、勅額をいただいて参られるころには、伽藍の普請も、悉皆(しっかい)、成就いたしましょう」

「ウム……」

うなずいて、

「そう、そう」

親鸞は、城主の国時をかえりみ、急に思い出したようにいった。

「――この親鸞も、近々に、いちど信州路まで出向かねばならんのう。国時どの、しばらく、宮村の庵(いおり)を留守にいたしますぞ」

「ホ……それはまた俄かな、急に、ご巡錫(じゅんしゃく)でも思い立たれて」

「いやなに、この伽藍に安置して、末世まで、衆生を導かせたもう本尊仏を請い受けに」

「あ、では善光寺へ」

「お迎えに行って参る」

「お供の方々は」

「本尊仏のお迎え、親鸞ひとりでもなるまい。これにおる証信房、鹿島の順信房、そのほか二、三名は召し連れましょう」

 話の半ばだった。

 大工棟梁の広瀬大膳と、その部下の者が、血まみれになった一人の男を抱え、ばらばらと駈けてきて、

「権之助殿、これにか」

と、いった。

 奉行の藤木権之助が、その様子を見て、なにか仕事の上の急用かと、

「オオ、何事」

「また、例の――」

と、大膳や部下たちは、なにか喋舌(しゃべ)りかけたが、そこの丸太足場の蔭に、城主や上人のすがたがちらと見えたので、

「あ……殿も、上人もこれに」

急に、はばかって、大地へひざまずいてしまった。

 国時は、ずかずかそこへ来て、

「なんじゃ、何事が起ったのか」

「は……」

口籠って――

「お奉行までご相談に参りましたので、殿のお耳を煩わすほどの儀ではございませぬ」

と、恐縮する。

「何か、大工どもの、賃銀のもめごとでもあるのか」

「さようなことではございませぬ」

 権之助が側から、

「大膳どの、殿のお耳へ入ってしまったこと、お隠し申しては、かえってよろしゅうない、なんなりと、申し上げられい」

「……実は、これへ連れて参った屋根葺の職人」

「オオ、怪我をしているな」

「鋭い鑿(のみ)で、片腕を傷つけられ、それを交わそうとして、只今、あれなる足場から転び落ちたのでございます」

「職人どもの喧嘩か」

「は……」

「下手人は何者じゃ。……不埒(ふらち)な、下手人は誰だ」と国時は激怒していった。

*「巡錫(じゅんしゃく)」=錫杖をもって巡行すること。高僧が各地を巡遊、修行、あるいは人々を教化(きょうげ)すること。