「仏教というのはどんな宗教」

仏教はお釈迦さまを開祖とする宗教です。

キリスト教・イスラム教と並んで世界の三大宗教の一つに数えられます。

仏教は仏(真理に目覚めた人)の教えであり、仏(真理に目覚めた人)になる教えであります。

人間として、命を頂いたならば、必ず年をとっていかなければなりません。

そして縁がととのえば、病気にもなっていかなければなりません。

そして遅かれ早かれいつか必ずいのち終わっていかなければなりません。

年をとり・病気になり・死ぬという人間の根本の苦しみを真正面からしっかりと引き受け、乗り越えていく道を説いたものが仏教という教えであります。

人間は自分に都合のいいように判断する自己中心の眼によって物事を見ているために物事の真実の姿をついつい見誤ってしまう場合があります。

お釈迦様は、自分に都合のいいように判断してしまうその色眼鏡をはずして、ありのままに物事をみていくことの大切さをお説き下さいました。

ありのままにものごとをみていくこと。

それが「智慧」といわれる能力であり、仏教のさとりとは、この智慧を得ることでした。

この智慧の眼によって物事を見ていく時に、すべてのものは消滅変化し、とどまるものは何もないということ。

すなわち「無常」であるという真理に目覚めていくのです。

この「無常」という真理に目覚めていく時に、ついつい

「生きているのは当たり前」

と思っていたこの私のいのちが、いかに尊いものであったかに気付くことでしょう。

また、すべてのものが複雑に重なりあい、支えあいながら成り立っていること。

つまり「縁起」の関係にあることも智慧の眼によって知らされます。

「縁起」という真理を知ることによって、私は一人で生きているのではなく、多くの人に支えられて、多くのいのちの犠牲の上に成り立っている。

生きているというよりも生かされているいのちであったということに気付かされることでしょう。

これらの真理に目覚めていくことにより、私たちがお互いがお互いを輝くいのちとして認め合い、尊重しあえる世界が広がってくるのではないでしょうか。

そこに仏教の教えの目的があるのです。

たくさんのいのちある中で、受けがたい人間としての尊いいのちを頂いてこの世に生を受けた私たちです。

この世にいのち頂いたその意味を一生涯をかけて仏教の教えの中に問うていきたいものです。