『1Q84』や
『ノルウェーの森』
『海辺のカフカ』
などの長編小説で知られ、日本のみならず海外でも人気の高い作家の村上春樹さんが、今年の2月にイスラエルの文学賞
「エルサレム賞」
を受賞されました。
ちょうどその頃、圧倒的な軍事力を背景としたイスラエルによるパレスチナ自治区ガザへの侵攻が国際的に非難をあびておりました。
この軍事攻撃によりパレスチナ側では、民間人を含む1,300人以上のいのちが奪われましたが、その大多数が一般市民であり、特に死傷者の3分の1が子どもであったといわれています。
この賞の受賞にあたっては、日本国内で市民団体などから、
「イスラエルの政策を擁護することになる」
と、受賞の辞退を求める声も上がっており、村上さん自身も大変悩まれたそうですか、その上で、
「あまりにも多くの人が『行かないように』と助言するのでかえって行きたくなった。
何も語らないより現地で語る事を選んだ」
と、授賞式の記念講演の冒頭で語っておられます。
また、
「体制」「制度」
を壁に、
「個人」
を卵に例えられて、
「わたくしが小説を書くとき常に心に留めているのは、高くて固い壁と、それにぶつかって壊れる卵のことだ。
卵は壊れやすい殻に入ったそれぞれ独自の精神を持ち、壁に直面している。
どちらが正しいかは歴史が決めるにしても、わたしは常に卵の側に立つ。
壁の側に立つ小説家に何の価値があるだろうか。」
と強調されました。
そして、
「その壁(体制・制度)は私たちを守ってくれると思われるが、ときに自己増殖して私たちを殺すようになったり、私たちに他人を冷酷かつ効果的、組織的に殺させる。」
と、イスラエルの軍事攻撃、またイスラエルが進めるパレスチナとの分離壁の建設を意識した発言をイスラエル政府高官の面前でされました。
この非常に勇気ある発言は、その会場でも大きな拍手をあびたそうですが、ただ単にイスラエル政府だけを非難、警告したのではなく、全世界に向けて、また村上春樹さん自身の今後の小説家としての再決意のような、非常に強くまた意味深い言葉であるように感じました。
わたくしたちは、ややもすると、その時々の自分の都合による自己中心的なものの見方に陥ってしまいがちです。
そういう意味では卵でもあり、時としてその卵に立ちはだかる壁にもなります。
もし、身の回りで差別や偏見で苦しんでいる人がいて、それに対して無関心であるとするならば、わたしも自覚しないところで大きな壁を支える一員になっているのかもしれません。
仏教を説かれたお釈迦様は、当時のインドのあつい壁(身分制度)をその思想に基づく言葉をもって打破され、わたくしたちの宗祖親鸞聖人は、厳しい封建社会の中で、既存の仏教界も封建制度というあつい壁にすり寄っていた時代にあって、常に民衆とともに卵の側であり続けようとされた人でした。
その教えの流れをいただくわたしたちにとって、受け継ぎ、伝えていくことの責任の重さを感じずにはいられません。