私たちは無意識の内に「自分の中にはいつも正しい私がいる」かのように思い込んでいます。
ですから、その「正しい私」が世の中の様々な物事を見て、考え、判断を下し、ものを言い、行っている訳ですから、その結果はいつも自分の思い通りにいくはずだと信じています。
ところが、私の意に反して現実の前にはその正しいはずの判断が覆されたり、物事が思い通りに運ばないことがしばしばあったりします。
なぜなのでしょうか。
それは、私が下している判断の基準、ここでいうところの「私のものさし」は常に自己中心的なものでしかないからです。
「自利利他」という言葉があります。
仏さまは、悩み苦しむ私たちを救うこと、言い換えると他を利することがそのまま自分を利することになるという立場にたたれます。
つまり、仏さまのものさしは、自分の行いが他の人のためになるかどうかということが基準となっているのです
私たちは、なかなか自己中心的な生き方を離れることは難しいものです。
なぜなら、誰よりも自分が可愛く、いとおしいと思っているからです。
けれども、社会生活を営む上では、常に周囲の人々から何らかの恩恵を受けていると同時に、気付かないうちにさまざまな迷惑をかけていることもあります。
そんな私の姿に目覚めさせてくださるのが、仏さまの教えの「ものさし」だといえます。
私たちは一生涯、身勝手な私のものさしを捨てることは出来ませんが、仏さまのみ教えを聞くことを通して、少しでも自分の都合の良いように伸び縮みするものさししか持ち得ないことの自覚を持ち続けることが大切なのではないでしょうか。