投稿者「鹿児島教区懇談会管理」のアーカイブ

『世の中安穏なれ』

 「安穏なる世の中」とは、いったいどのような世の中なのでしょうか。

また、この「安穏」という言葉に託された願いは、この地球上から戦火が途絶え、人種、民族、宗教、男女などの様々な違いを超えて、誰もが等しく仲良く暮らせるような争いのない穏やかな世の中になることだけなのでしょうか。

 この六十年余り、少なくとも私たちの国は外国と正面だって交戦することもなく、部落差別をはじめとする不当な差別解消への取り組みがなされ、男女間の格差も共同参画社会の実現を目指すことで解消しつつあります。

 そのような意味では、「安穏なる世の中」に近づきつつあると言えなくもないのですが、果たして現実の社会において私たちはそのことを実感出来ているでしょうか。

これまでには考えられなかったような凶悪な事件が次々と起こり、親が自分の子どもを虐待したり、殺したりするような痛ましい事件さえ頻発しています。

 そうすると、安穏なる世界などいつまでも訪れることはないのではないでしょうか。

実は、ここで言われる「安穏なる世の中」とは、決して何の問題もない、私を苦しめる何ものも存在しない、私がのんびりと暮らせる世界を意味しているのではありません。

 たとえ状況としては、どれほど辛くても苦しくても、私が私のままに受け止められる、同時に私も周りの人をあるがままに受け止めることが出来れば、安心して生きていくことが出来るように思われます。

例えば、嬉しいことがあってもそれを伝え聞いてくれる誰かがいなければ少しも嬉しくはありませんし、反対にどれほど悲しくても寂しくても話を聞いてくれたり、理解してくれる仲間がいれば、また何度でも立ち上がって行けるものです。

 安穏なる世の中は、どこか遠いところにあるのではなく、共に生きる仲間を見出すところに実現していくのではないでしょうか。

「縁起」

「縁起」とは

「すべての存在は無数無量といってよいほどの因縁によって在り得ている」

という、仏教の基本思想を表す重要な用語ですが、私たちの日常において用いられている仏教用語の中で、誤解されて用いられている言葉の代表的なものだと言えます。

具体的には

「縁起が良い(悪い)」

「縁起をかつぐ」

という用いられ方がそれで、吉凶の前兆として用いられているのが常です。

このような使われ方がなされるようになった理由として考えられるのは、寺社などの由来・沿革・起源という意味で用いられる

「縁起絵巻」

という言葉がありますが、この時の縁起という言葉と仏教本来の縁起という意味がすり替わって、いつのまにかその由来という意味が吉凶の前兆という意味となってしまったことによると思われます。

仏教における縁起とは、私たちは結果(果)から見ると、そこには必ず原因(因)と条件(縁)があり、ひとつの事実は常に因と縁によって存在するのであって、それらの因縁をとり除いたら、「私」という存在も全くないという意味です。

それを「無我」というのですが、このような仏教本来の意味で理解すること成しに、この私がたくさんの因縁をいただいて生かされているという通俗的な意味で理解されてしまったことが誤解を生んだ理由かと思われます。

そのために、自分の都合だけを求めているこの私が先に存在しているのですから、自分の都合の良い因縁だけを願ってしまうことになるのです。

そして、縁起が良いとか悪いという「縁起をかつぐ」という構図も生まれるのだと言えます。

仏教の基本思想でいう縁起とは、私が先に存在しているのではなく、無数無量の因縁が私となっているということです。

無量無数の因縁によって私が成り立っているのですから、私の身に起きた事実はすべて私が引き受けていくべきであり、決して他の何ものかのせいであったり、ましてや他に転嫁していくべきではありません。

節分の時に「福は内、鬼は外」と口にしますが、事実としては「福は内、鬼も内」なのです。

縁起が吉凶の前兆を意味する、自分の都合を願う言葉になってしまうと、仏教の大切な教えも、自分の都合に合わせて解釈してしまうあり方に陥る可能性が多分にあります。

「ウチナーユー(沖縄世)、アメリカユー(アメリカ世)、ヤマトユー(日本世)」(中旬) 人間存在の全て

 私たちの住んでいる読谷村(よみたんそん)は、文化村と呼ばれています。

なぜなら、その宣言をした時の村長の言葉に

「基地の中に文化の楔(くさび)を打ち込む」

というのがあり、デモ行進をしたり、シュプレヒコールを挙げたりすることも止めるわけにはいきませんが、文化をもって基地に立ち向かおうとしているからです。

基地というのは戦争につながっているものです。

いくらきれいごとを言っても、基地というのは戦争のための準備の場所です。

兵隊さんたちの訓練というのは、極端に言えば人殺しの練習をしている訳です。

しかも基地は戦争につながったり、人を殺すだけでなく、目に見えるもの・見えないもの全てを破壊する。

その破壊の構造に対して、文化というのは人々の諸活動が花開き、無から有を創り出す創造の構造ということで、読谷村は三、四十年前から文化村作りというのを徹底してやってきました。

 文化というのは、目に見えないものです。

ですから、数字として見るだけでも、読谷村では焼き物の窯元が四十七あります。

他にも織物、染め物、ガラス工芸などがありますし、またこの間まで読谷村には人間国宝が三人もいたのです。

焼き物の金城次郎さん、紅型染の玉那波有公さん、そしてもう亡くなられましたが読谷花織の与那嶺貞さん、この三人がおられました。

それから琉球舞踊の道場が人口三万から四万の村内に十件ほどあります。

また、三味線の教室やお琴の教室などもそこら中にあります。

 そういう村にひかれて最近住み着く人が多いのです。

それが何よりも強みになって、読谷の歌や踊りや文化をいっぺんにまとめ上げた読谷祭りというのを三十年余り前に創り上げました。

そしてこれを基地の中でやったんです。

また読谷村の新しい村役場も基地の中に作ったんです。

これがただ基地を返せと、いわば力づくで言うことも大切なことですが、それだけでなく文化という力はやはり強いんですね。

これを読谷村が証明しております。

まだそのお祭りの会場や役場のある所は軍用地なんですが、結局そういうふうに使っているものだから、アメリカ軍の方も返さなくてはならなくなって、遂に返ってくることになりました。

文化の力で基地を返還させた、そんな活動を読谷村はしています。

 こういう言葉があります。

「私たちは一日、ひとつの言葉もしゃべっていなくても、実は言葉をしゃべっているのです。

自分自身と話をしています。眠っていても夢を見ていても、言葉を話しているのです。

目が覚めたら語るというのではなくて、寝ても覚めても、たとえ発言しなくても言葉を語っています。

人間というのは、言葉を語るという行為を離れてはありえません」。

これは言葉を離れた人間存在はないということです。

言葉が全てなんです。

今その言葉が非常に軽々しくなってきています。

 昔の日本は「言霊(ことだま)」といって、言葉には魂があるとさえ考えていました。

そのように言葉を大事にしてきたんですが、それがなくなってきている時代です。

これは非常に私たちの宗教にとって困るんです。

言葉が人間存在の全てということは、人間が救われるのも言葉によってだからです。

私たちの教えも南無阿弥陀仏という言葉によって救われるのであって、行動によってではありません。

それが浄土真宗の教えです。キリスト教もそうです。

ヨハネによる福音書の最初に出てきますが「はじめに言葉ありき、言葉は神と共にありき、言葉は神なりき」というのが聖書の最初の言葉です。

つまり言葉が全てだということです。

その言葉が今は機械的になり、軽々しくなってくるということは、人間の救いが出来なくなるということです。

「なぜお花やロウソクを供えるの?」

花をお供えするのは仏さまのお徳を讃え、そのご恩に感謝する気持ちの表れです。

その時花びらを仏さまの方に向けるのではなく、私の方に向けてお供えします。

それは精一杯に限りあるいのちを輝かせて咲いている花を通して、量りなきいのちをもつ仏さまのお慈悲のこころに触れさせていただくということです。

同時に花をお飾りすることによって浄土の美しさを表現するのです。

ロウソクの炎には、2つの面があります。

1つは光です。

周囲を明るく照らす光は仏さまの智慧を象徴すると言われます。

心の奥底までも知り尽くし、深い迷いの闇を隅々まで照らして真実へと向わしめる真実の光明です。

もう1つは熱です。

熱が氷を解かすように、お慈悲の温もりが自己中心なものの見方しかできない私の心の殻を解かして下さいます。

またその炎から休むことなくはたらきかけて下さっている仏さまのお徳を味わい、そのご恩に感謝し念仏申しましょう。

<参考文献>

◎『仏事のイロハ』末本弘然著(本願寺出版社)

◎『門徒もの知り帳』(上・下)野々村智剣著(法蔵館)

「無為」

私たちは、自分ひとりだけでポツンと生きているわけではありません。

会いたくないと思っている人と出会ってしまうことがありますし、いつまでも一緒にいたい人と別れなければならないこともあります。

物や人に対して、嫌悪し愛着し欲求し続けることによって、私たちの中に苦しみや悩みが生まれるのです。

ところで

「無為(むい)」

という言葉は日常では

「無為に時間を過ごしてしまった」

と言うように、為すべきことがあったのに、特に何をするということもなく無駄に過ごしてしまったときに使います。

一方

「有為(うい)」

「あの人は有為(ゆうい)な人材だ」

と言うように、才能があり、役に立つ人を評価する言葉として用いられています。

ところが、仏教で使われる時の有為・無為はもっと深い意味を持っていると共に、私たちの語感とは反対です。

「有為」は、因縁によって生じた相対的な「迷い」の世界を指し、「無為」とは因縁によって生じたものではない絶対的な「覚り」の境地を表します。

常に変転してやまない有為無常の存在に対して、変転や迷いのない世界を無為涅槃界とよびます。

私たちは、 それほど迷わなくてよいことを為さなくてはならないと思い込むことで、苦悩すべき相手を取り違えてしまうことがあります。

本当に眼を向けるべき苦悩が見つかることによって、執着への迷いから解放される確かな道が開け、その極致こそが

「寂静無為の楽(正信念仏偈)」

であることを仏教は教えようとしているのだと言えます。

今年の1月29日から2月9日まで教区懇談会主催のインド仏跡参拝に参加させていただ

今年の1月29日から2月9日まで教区懇談会主催のインド仏跡参拝に参加させていただきました。

参加者も多く若手僧侶も結構参加がありましたので、大変有意義で楽しい旅となりました。

特に今回はカジュラホの遺跡群と皆様ご存じのタージマハルの2つの世界遺産も観光できるという、大変充実した内容となっていました。

お釈迦様がご誕生になられてから涅槃に入られるまで、その順番通りではありませんでしたが、仏跡を参拝していく度に

「ここでお生まれになったんだ」

「ここで苦行をされたんだ」

等、感慨深い思いが巡って参りました。

中でも印象深かったのが、悟りを開かれた地ブッダガヤでした。

偶然にもダライラマが滞在されているということもあって、町全体は大変な賑わいを見せておりました。

何度か仏跡参拝をされた経験のある先輩も

「こんなに混雑したブッダガヤは初めてだ」

と言われたほどでした。

大菩提寺の中に立つ大塔が見えてくると、どこからともなく

「ブッダーン、サラナーン」

と三帰依を称えるスピーカーの音が聞こえてきて、荘厳さを増していました。

大きさと言い彫刻のすばらしさと言い、大塔を間近で拝見したときには圧巻でした。

その大塔の後ろ側に金剛座があります。

残念ながら囲いがしてあって全景を綺麗に見ることは出来ませんでしたが、飲み込まれると思われるぐらいの大きな菩提樹の木の下にある、お釈迦さまが悟りを開かれた場所である「金剛座」を拝見した時には、お釈迦様の49日間に及ぶ苦難に胸が熱くなってきたことでした。

今回のインド旅行では、これまで書籍等では知っていたもののまだ眼にしたことのなかった仏教の聖地とも言える数々の場所に足を運ぶことが出来て、言葉に言い表せないほどの多くの感動を頂くことが出来ました。