投稿者「鹿児島教区懇談会管理」のアーカイブ

『大いなる願いの中に花は咲く』

だんだん暖かくなり、春の訪れを感じる今日この頃です。

外に出ると、いろんな所で咲いている花々の姿を目にします。

一生懸命、いのち輝かすその姿はとても美しく、思わず見とれてしまいます。

「花を支える枝 枝を支える幹 幹を支える根 根はみえないんだよなぁ」(相田みつを)

考えてみると、春になったからといって突然花が咲くのではありません。

枝があり、幹があり、そして根があるのです。

その行き着くところの根は、地面の中に隠れてしまって直接目にすることができません。

しかし、見えない根のはたらきに気づかされるとき、私たちは本当の花の美しさを知らされるのではないでしょうか。

花と同様、私たちも今「いのち」いただく毎日でありますが、それを支える見えないはたらきとは何でありましょうか。

物欲に溺れ、形ばかりを追い続ける現代に生きる私たちは、いつの間にか我がいのちの生かされて生きる不思議を想い、恵みや慈しみに感謝する心をなくしてしまいました。

「心の因」と書いて「恩」と読みます。

私たちが真に支えられる心の依り処を、親鸞聖人様は「念仏のみぞまこと」とお示しくださいました。

阿弥陀様の大いなる願いを知らされるとき、おかげさまと手が合わさり、感謝のお念仏を申す人生が開けてまいります。

「今をいかに生きるか」(1)4月(前期)

 「生きる」ということを問題にした時、私たちは通常、次の三つの事柄に目を向けます。

一は幸福な人生、二は正しい生活、三は心のやすらぎです。

この三つがかなえられれば、おそらく誰もが自分の人生は「素晴らしい人生だ」と感じることが出来るのではないでしょうか。

心がいつも安らかであり、正しい人間生活が営まれており、しかもその中で楽しく豊かで幸福な人生が過ごせる。

これに勝る人生はありませんから、この三つを願わない人はいないと思います。

では、この三つの願いを実現させるためには、どのような方法があるでしょうか。

まず一番目の「幸福な人生」について考えてみます。

現代において、豊かで明るく、便利で楽しい生き方を願うとすれば、まず「科学」が人生にかかわってくることになります。

百年前、五十年前、そして現在へと続いている私たちの生活を顧みますと、明らかに科学の発達にともない、生活は便利で快適で豊かになってきています。

したがって、科学は確かに人間生活を豊かにし、幸福な道を与えているのですが、けれども一方ではその科学がまた人間を不幸にしている面もあります。

 教育によって科学的な思考方法を学び、そのような生き方が重視されれば、当然、宗教的な生き方は軽視されることになります。

けれども、その科学によって幸福な人生が得られないとなると、途端に科学は捨てられ、宗教が求められることになります。

そして、そこで求められるのは「幸福を得るための宗教」ですから、人々において期待されるのは必然的に「現世利益を説く宗教」ということになります。

人は科学によって幸福を求め、それが駄目なら宗教によって幸福を求める。

それが、今日の私たちが求めている心になるのではないかと思われます。

「大家族、見守り愛、励まし愛、支え愛」(上旬) 息子たちの役目

======ご講師紹介======

西川ヘレンさん(タレント)

☆ 演題 「大家族、見守り愛、支え愛、励まし愛」

昭和二十一年京都市生まれ。昭和三十八年に吉本興業に所属し、昭和四十二年に西川きよしさんとご結婚。その後、二男一女をもうけられました。

現在は大阪府箕島面市にきよしさんのお母さん、長男の忠吉さん夫妻とお孫さんの四世代で同居しておられます。

著書に『幸せの鐘がきこえる』『ヘレンのもう、いや! 多重介護奮戦録』『西川ヘレン&かの子のおいしい和風レシピ』などがあります。
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タレント 西川ヘレン さん

 主人の両親、私の母と私たちが一緒に暮らして三十六年以上たちますが、最初の頃はみんなお互いに遠慮がありました。

例えば一つのお饅頭があって、みんながおいしそうやなと思ってても遠慮して取ろうとしないんです。

それを三等分してお茶を入れて持っていくと、気兼ねなく「こらおいしいわ、ありがとう」と食べてくれます。

それからはこちらが先に気がついて「何でも三等分にしないといけないな」と勉強させてもらいました。

 そんな生活の中でも、特に大変だったのは台所でした。

三人の女性が台所で炊事するということは大変です。

それぞれ味付けも切り方も違います。

そうなると料理のたびに「そこは違う、それはいかん」とお互いに口を出し合って、時には言いすぎてしまうこともあるんです。

 お互い気兼ねなく言いたいことを言えるというのは家族としてはいいことなんですが、おいしいものを作るはずがそうではなくなってしまうというのは残念なことですね。

それを主人が見て「炊事は私、洗濯は母、そして掃除は義母というように家の仕事をそれぞれ分け合ったらどうか」と言ってくれました。

 そのおかげで義母は掃除にまわってくれて、私の母は洗濯にまわってくれまして、それで私は台所を預かる身としておじいちゃんとおばあちゃん二人、主人や子どもや大勢のお弟子さんの食事を一手に引き受けることになりました。

 特に食事というのは、ご年配の方にとって何よりの楽しみなんです。

おじいちゃんたちが食べたいとおっしゃるなら食べやすいように調理します。

喜んでもらえて、しかも胃に優しく、きれいに便になるように、私はおじいちゃんたちの楽しみの作り手としていろいろ工夫してお出しするんです。

 まだ娘が産まれていない頃、夕食の時間になると、おじいちゃんはもう先に食べて上がっています。

主人はまだ帰ってきていません。

息子二人とおばあちゃん二人で夕飯をよばれます。

お仏飯をお供えするのも、茶碗にご飯をよそうのも、息子たちの役目としています。

 ご飯を食べるときに、おばあちゃん二人が「有り難いことやな。

パパが一生懸命に働いてくれて、ママがそれを買いに行ってくれる。

買いに行った先のお野菜やお魚は、農家の方や漁師さんが一生懸命に育てたり取ったりして、それを届けてくれたおかげで煮たり炊いたりすることが出来る。

これを残さんと、感謝してよばれなあきませんよ」と言います。

 これを毎日毎日、母二人が子どもたちに言って聞かしてくれました。

そしておばあちゃんが「頂きます」と声をかけると、子どもたちはそろって「頂きます」と言って食べはじめます。

おばあちゃん二人はその様子を見て食べてました。

いま思ったら、本当に楽しいことをいっぱい置いていってくれはりました。

「念仏者の今日的課題」(2)3月(後期)

また、現代の人々にとっては「信心正因」ということも分かり辛いのです。

信心が正因であるとして、ではその正しい信心は「いつ」私の心に生じるのでしょうか。

この心の自覚は、禅宗の場合であれば比較的容易だといえます。

なぜなら禅の行道では、さとりを開いた者が、まだその心に達していない者の心を導くことによって印可が成り立ちます。

行道の中で、師の僧が弟子に対して「よし」と印可を与えることによって弟子は正しい心を得たことを知り得るのです。

ところが、浄土真宗では、行道において師と弟子の関係は成り立ちません。

お互いが愚かな凡夫だからで、当然のことながら愚かな凡夫に他人の心など分かるはずはあり得ません。

浄土真宗でも「あの人は信心を頂いている」といわれる場合がありますが、私は凡夫ですから、他の人の心を見抜いたりすることなど出来ません。

したがって「あなたはすでに信心を頂いている」といえる人など誰もいないのです。

そうすると、信心を得たかどうかの判断は、自分自身でせざるを得ないことになるのですが、その自分自身こそまさに凡夫そのものでしかないのですから、その判断もまた成立し得ないことになります。

現代の人々にとっては「信心正因」と言われても、その信心を自覚することは非常に難しいことです。

ましてや「称名報恩」と言われても、その前提となる信心正因がわからないのですから、報恩の念仏を称えることはさらに難しいと言わざるを得ません。

このように見ますと、現代社会において近代化された教育によって育てられた私達は、素直に念仏を称えられなくなっている上に、現代教学は信心を中心とすることに偏るあまり教学そのものが念仏の声を消し去る作用をなし、一方伝統教学は教えそのものが観念化されているために人々の心に響かない上に教義の意味が現代の人々の感覚とズレてしまい、結局その教えからもまた念仏の声が出ない状況を作り出しているといえます。

このように、現代の私たちは喜んで自然と念仏を称えるような状況に置かれているとは言い得ません。

それにもかかわらず、私たちにとってなぜいま念仏が必要なのでしょうか。

言い換えると、浄土真宗にとって、なぜ念仏が最も重要なのかを、もう一度根本的に問い直すことが、念仏に生きようとする者に課せられた今日的問題であると言えるように思われます。

「法によるべし」(下旬) 絵に描いたもち

中央仏教学院講師 清岡隆文さん

年賀状を書こうとした頃に、十一月から十二月にかけて次々とポスト入ってくる、いわゆる喪中欠礼の「年末年始のごあいさつを欠礼いたします」というハガキに気がつきます。

私は職業上やり取りする人が多いので、そういうハガキが五十枚くらい届きます。

 「この一年間に家族・身内の誰かが死んだので、素直に明けましておめでとうと言える心境じゃないから、年末年始のごあいさつを失礼させていただきます」という内容です。

あの文面をもう一度読み直してみると「父が○歳で亡くなりましたので」とか、「母が○つきに○歳で亡くなりましたから」と具体的に書いてあるのもありますが、漠然と「身内に不幸がありましたので、年末年始のごあいさつは失礼いたします」とあるわけです。

 「身内に不幸」という言葉だけで、誰かが死んだということに気づかないといけません。

となると、不幸というのは死んだということと一つになって考えられることになります。

そうすると、不幸のない人生って、絵に描いたもちですよ。

誰とも別れない人生ってありますか。

みんな不幸はいやです。

幸福ばかりでありたい。

だけど家族が死ぬということを不幸ととらえる上は、不幸を経験しないで一生を終える人は誰一人いないはずです。

 ですから、それを単に不幸というおさえ方だけにしてしまっていいものかどうか。

逆に、幸福というもののとらえ方をどのようにするのか。

そういうところを仏教はまた私たちに問いかけてくださるのです。

だから先ほども言いましたように、幸福とか不幸とかいう言葉はお経さまの中にはほとんど出てきません。

 私たちにとって「この世がすばらしい」「私の人生、良かった」と言えるのは、喜びそして安らぎ、そういう人生が送れたという時点に立って考えないといけないのではないでしょうか。

目先のことだけで一喜一憂するのではなく、全体として私の人生はどうだったのかといった時に、私の人生良かったと言えるような生き方をさせていただけるところに、仏さまの教えを仰いでいくということが大切なのです。

 ここで、仏教の教えというものは、死んでから先の話ではないということを強調しておきたいと思います。

とかく今までの仏教の説かれ方、聞き方というものが、死んだらお浄土に行ける、このことがもちろん究極の私たちの行き着くところとしては大切なのですが、そのことばかりを強調すればするほど、生きている間はあまり仏教の教えは必要ないというふうにとられかねない誤解が生じてきます。

 ですから親鸞聖人が一番苦労なさったのは、一度しかないこの人生をいかに悔いなく充実して生ききれるか、というところに仏さまのおはたらきを仰いでいかれたのです。

もう生き死には関係なく、仏さまのおはたらきをいただいて行くままが、いのち終われば間違いなく仏さまの世界に迎えられていく、このようにいただいていかれました。

この世におけるところの教えとして受けて行かれたことを、私たちはしっかりと受け止めていかなければならないと思います。

『時代が変わっても 本当のことは変わらない』

 今から八百年ほど前、親鸞聖人が生きておられた鎌倉時代には、現代の私達が「迷信・俗信」とみなしている非科学的な占い、あるいは日の吉凶に拠って生きることが当然のことでした。

けれども、現代は「科学の時代」ですから、それらは過去の遺物として当然「なくなった」と言いたいのですが…、現状は決してそうではありません。

 親鸞聖人の教えの特色は、なぜ台風が襲来するのか、突然地震がおこるのか、伝染病が流行るのか、落雷があるのか、などといった事柄について、全く科学的な知識がなかった時代であるにもかかわらず、それら全ての迷信から解放されていたという点にあるといえます。

 では、なぜ親鸞聖人は科学的な知識をほとんど持っておられなかったにも関わらずすべての迷信・俗信から自由であり、一方多くの科学的な知識を学び身につけているはずの現代の人々は依然として様々な迷信・俗信に惑い、それらに一喜一憂するような日々を重ねているのでしょうか。

 それは、人生は不条理だからです。

なぜ私だけがこのようなつらい思いや苦しい思いをしなければならいなのか…、いつの時代にあっても私たちは例外なしにそのような問題に直面します。

けれども、この点について科学は全く無力です。

そうすると、人生の中にあってもし不条理を超えることが出来る力があるとすれば、本当の意味の正しい宗教のみだといえます。

 親鸞聖人が出遇われた念仏の教えとは、いつの時代にあっても、いかなる人々においても、不条理な人生において光を放ち、等しく生きる勇気を与える、まさに時代を超えた真実の教えであったことがうかがえます。