投稿者「鹿児島教区懇談会管理」のアーカイブ

「今をいかに生きるか」(1)4月(後期)

 

第二の正しい生活はどうでしょうか。

私たちの社会には法律があり、倫理・道徳が教えられています。

世界中のどの国も、自分の国こそが正義であると主張し、悪が厳しく排除されているといえます。

したがって、「表面的」には、誰もがまさに善人であるかのような顔をしています。

ところが、現実はその社会に悪が満ち溢れています。

善を望まない人はいないはずなのに、現実はお互い悪の中で顔を付き合わせているような社会しか人間は作れないのだといわざるを得ません。

だとすれば、第三の心の安らぎですが、この人間社会には、本当の意味での心の安らぎを得る場所など存在しないということになります。

人々は、安らぎのある人生を求めながら、一日一日の生活に安らぐ心がない、それが人間の姿です。

そうしますと、幸福な人生と正しい生活と心のやすらぎという三点を実現させるという教えは、実は教えそのものに無理があることになります。

したがって、宗教の名のもとに「この教えに従えば、このような三点を実現出来る」と説いている教えがあるとすれば、それは「間違った宗教」ということになるのではないかと思います。

ここで親鸞聖人の教えが問題になります。

例えば、心の安らかさについてですが、凡夫の心は常に煩悩が渦巻いており、臨終の瞬間まで、安らかな心は起こり得ないといわれます。

親鸞聖人の教えでは、私たち凡夫は安らかな心など作り得ない、ということになるのですが、ただしそのような実際に感覚の中で味わう、安らぎの心を問題にしなくても、現生においてそれを超える喜びの心は得られると説かれます。

これは「安らぎ」を、心のある感情的な状態としてとらえるのではなくて、より根源的な自らの全人格の全体を支える教えとの出遇いとして見られることになります。

では、それはどのような教えなのでしょうか。

「大家族、見守り愛、励まし愛、支え愛」(下旬) 家族っていいな

タレント 西川ヘレン さん

 そして自分の部屋に入っていくんですが、いつもなら勢いよくガラッと開けるのに、この時ばかりはなんとも静かにそそっと入りました。

「おじいさん、おじいさん」と、私も嫁に来てから聞いたことのないような声で、おじいさんを揺り起こしました。

 おじいちゃんにしてみれば、昔聞いた声やけど、誰の声やったやろうかいな思って目覚めたら、しわだらけのおばあちゃんが、おじいちゃんを覗き込んでます。

それで「あんた私のこと好きかいね」とおばあちゃんが聞きました。

揺すられて起きたままのおじいちゃんは、どう答えたらいいのかわからしませんから、「好きでも嫌いでもないわ、どあほ」というえらい答え方をしました。

 それでも、それから何日かたっておじいちゃんとおばあちやんの様子を見ていると、「おいおばあ、苦そばばあ」という声は聞こえなくなりました。

「おばあちゃん、おばあさん」と呼んでおられます。

すると、おばあちゃんも「なんですか、おじいさん」と答えます。

孫に教わることってあるんですね。

つくづくそう思いました。

 そして、おじいちゃんもおばあちゃんも元気な頃のことですが、みんなでお出かけするとき、私と主人はいつでも手をつないで歩くんです。

それを見て「あれも真似せなあかん」と思ったんでしょうね。

後ろから歩いたんでは私たちにわからない。

「前に回って歩いてやれっ」てなもんです。

 それで二人はぎっちり手をつないで歩き始めました。

せやけど、私たちの歩幅よりおばあちゃんたちの歩幅は狭いですから、早足みたいに歩いてはるんです。

そのうえ、お互いが力入れ過ぎてるみたいで、まっすぐ進めていませんでした。

 でも、その姿を見て主人が言いました。

「良かった、親父とお袋があんなふうに手をつないで歩くのなんて、僕はこれまで見たこともなかった。

でも娘のお蔭で、あんな姿を見れるということは有り難いことや。

よかったなヘレン」「そやなパパ、よかったな。

私らも仲良うしような」と言って、手をつないで歩いてました。

 すると、横で歩いてた私の母が言いました。

「そらよろしおすわな、相手がある人は。

私は手をつなぎたくても、つなぐ人があらしませんのやもん」。

これにはもう「そうや、その通りや」と思いました。

 「これはいかん」と思って、私たちがさっと横に行こうとしたら、息子二人がふっとおばあちゃんの側へ行って、「向こうは年寄りやけど、こっちは若いで。

両手に花やで」と手をつなぐと、母も「そうどすな、向こうは年寄りやけど、わては両手に花やわ」と歩き始めました。

 家族っていいな。

親子っていいな。

生きてるってすばらしいなと感じるその日その日が、今日までありました。

いつお約束が来て、みんなとお別れする日があってもそれまでは本当に、日々しっかりと地に足をつけて生きていくことやな。

そう今は感じております。

『大いなる願いの中に花は咲く』

私たちは生きて行く中で、どうしようもなく辛いことや悲しいこと、苦しいことがあったりして人生そのものに絶望するようなことがあると「もう死んでしまいたい」と思うことがあります。

けれども、死にたいと思っても、また実際に自殺を図ろうとしても、生命そのものは最後の一瞬までそれに同調することなく、どこまでも生きようとします。

考えてみますと、私の生命は私が作ったものでも、お願いした訳でもないのですが、この私をこんにちここまでずっと支え、生かし続けています。

そうすると、生命があって私が生きようと願うのではなく、生きようとする意思そのものが生命なのであり、生きようとする願いこそが生命なのだといえます。

ところが、生命として生きている願いが何か、私にはわからないのです。

つまり、その生きようとする意思が、どうなれば満足するのかがわからないのです。

けれども、具体的には今の人生が面白くないとか空しいとか不安だとか、そういうことを日々の生活の中で感じることがあるのは、実は生命そのものが感じさせているのです。

なぜ空しさを感じるのか、なぜ不安を覚えるのか、頭で考えてそうしているのではありません。

何となく空しいし、何となく不安なのです。

それは不安とか空しさとかいうものが、頭で考え出されたものではなく、生命自身が感じ取っているものだからです。

自分の生命を、自分の思いに閉じ込めて生きる道を仏教では邪道といいます。

それは、生命を自分のものだとして自分の思いに閉じ込めて私有化してしまうことです。

花は美しく咲くという花そのものの生命の願いを受けて、その生命をせいいっぱいに輝かせて生きています。

あなたは、自分の大いなる生命の願いに目覚めて生きようと…、していますか?

「今をいかに生きるか」(1)4月(中期)

 

仏教の人生の幸福観は「豊かで明るく便利で楽しい生き方を求める」という方向はとりません。

なぜなら、お釈迦さまが最初に説かれたように「私たち人間は、老いと病と死を免れることはできない」この一点を見つめるのが仏教だからです。

私たちが願う幸福とは、これは誰においても例外はないと思われる事柄なのですが、それは具体的にはいつまでも若さを保ち、健康に毎日を送り、欲望を満たす楽しい生活ができることだといえます。

そして、そのような幸福を科学の恩恵によって実現させようと努力し続けて来たのが人間の歴史だともいえるのですが、その時々の科学の恩恵に身を浴していながら、それにもかかわらず科学によってもその思いが満たされないなら、宗教の力を借りてでも…、ということになるのです。

けれども、仏教ではそのような願いこそが「迷い」なのだと教えています。

周知の通り、人はどのように若さを保とうとしても、やがては老いていきます。

長く生きたいと願えば、必然のこととしてその老いの姿を除いた人生はありません。

また、健康であることを願っても、やはり病むことを除いた人生などあり得ません。

そして、一人ひとりは最後には必ず死んでしまうのです。

そうしますと、その死を除いて私の人生はないだとすれば、人は幸福を求めて生きようとしながら、それにもかわらず最後は死んでしまうのですから、人は誰もが最後は必ず不幸になる、これが偽らざる自分の姿だということになります。

「大家族、見守り愛、励まし愛、支え愛」(中旬) 親が決めた結婚

タレント 西川ヘレン さん

 私はお出かけした時は、いつもおじいちゃんおばあちゃんたちにお土産を買って帰るんです。

おじいちゃんは渡すとすんなり受け取ってくれますけど、おばあちゃん二人はそうじゃないんです。

 お洋服の場合は特に控えめです。

「もうそんなお金を使わんでもええ。

いつ死ぬかわからへんのやから。

もったいないからいりませんて」と言って、なかなか受け取ってくれません。

結局は受け取って頂けるんですが、そうすると今度はおばあちゃんたちでお互いに見比べて、相手の方が良いものに見えると言ってくるんです。

 やっぱりおそろいを買ってくる方が平等なんやと思って、次から同じものを買ってきたら「こら有り難い。

おそろいやないかいな」と、二人ともものすごい喜んでくれはりました。

そうして同じものを着てお出かけするのが、おばあちゃん二人にとっての大きな喜びでした。

 娘がまだ小学生の頃でした。

おじいちゃんは二階に上がって寝てました。

主人もまだ帰っていません。

ご飯を食べたその後でいろんな話をしていると、その続きが結婚ということになりました。

パパとママは大恋愛で結婚した。

そんな話が出てきました。

そして今度は主人の両親のところに話が進みました。

 そこで娘が、おじいちゃんとおばあちゃんは恋愛なのか、見合いなのかと臆せず聞きました。

すると「見合いでも恋愛でもあらへん。

親が決めた結婚で、顔も見たこと無いけど、あそこへ行けと言われて来たんや。

ほな、おじいさんやったんや」と、昔はそんな結婚もあったということを娘たちは聞かされました。

 「おじいちゃんとおばあちゃんはいつもお家でいるときはケンカしてる。

何であれだけいつもケンカしてるのん」とこう言うと、おばあちゃんは「ケンカしてるつもりはないけど、一緒にいるとお互いに言いたいことを言ってしまう。

それが孫たちには、ケンカととられるんやな。

そら悪かった」と謝りました。

 「そやけどおじいちゃん、おばあちゃんのことを呼ぶときはいつも『おばあ、おばあ』って言うてはる。

そんでおばあちゃん、聞こえてても怒ってる時は知らん顔してるやないか。

そしたらおじいちゃんは『おい、くそばばあ』って言うてはるやん。

あれ、うちが聞いたら寂しいねん。

パパとママはいつでも仲良うしてはる。

パパが帰って来たら、ママが時々『私のこと今でも好きかっ』て尋ねはったら、パパは『好きやっ』て言うてはる。

おじいちゃんとおばあちゃんもあんな会話したらええのに、なんでせえへんの」と娘が言いました。

 私はそれに対して「私と主人は大恋愛やから言える。

ましてや今の人ならともかく、昔の人はそういうことは言わへんものや。

だからおじいちゃんとおばあちゃんも、なかなかそういうことは出来へん」というように言いましたら、娘は普段の私と主人が仲良くしてることを例にあげて「おじいちゃんとおばあちゃんも仲良くできるかもしれないから、やってみればいい」と言いました。

 おばあちゃんは「死ぬまでに一度聞いてみる」と言いましたんですけど、娘は引き下がりませんでした。

「もったいない、死ぬまでやなんて。

今日の今、聞く方がもっとええ」ということで、娘に引かれて二階に連れて行かれました。

お彼岸も終わり、いよいよ4月を迎えることとなりました。

お彼岸も終わり、いよいよ4月を迎えることとなりました。

これからいよいよ春本番です。

学校では、3月は卒業の季節。

4月は入学の季節です。

卒業生はそれぞれの別れを終えて、新しい環境の中で、新たな人生の節目のスタートを切る、そういう季節が4月だといえます。

 私の地元は、小学校から中学校まではほとんどが地元の幼馴染と同じ少・中学校に進み、高校からそれぞれの希望する進路へと進んでいきます。

ですから、中学校を卒業する間近には「これからもう友達とも会えなくなるな…」と寂しく感じたことを思い出します。

 私は最近、親戚との別れがありました。

高齢で、闘病中ということもあり、ある程度覚悟はしていました。

ただ、それなりの覚悟はしていながらも、やはり小さい時から可愛がってもらっていた身近な人との別れはとても辛く悲しいことでした。

               

 「いつか必ず別れなくてはならない、という事実の上に今出会っている」これは、何度も聞かされてきた言葉であり、頭の中では分っていたはずのことでしたが、この度の身近な人との別れに際して、安易には受け入れがたい事実であると共に、即座に頷けないでいる自分に気付かされたことでした。

 最近、誕生した子どもを連れて妻の実家へ遊びに行ってきました。

妻の両親はとても喜び、子どもを交代で抱っこしてくれました。

また、子どもが泣くとすぐに抱き上げてあやしたりするとなど、とてもよく面倒を見てくれました。

妻の実家から帰るその日、孫を抱くお父さんの目にきらりと光るものが見えました。

 私はその涙を「この子に出遇えた」という喜びと、「この子ともいつか必ず別れていかなければならない」という別れの自覚が、重なり合って誘ったものとして受け止めました。

普段身近にいる人に対して、いつの日か迎えるであろう別れの自覚を持つことが出来た時に、私たちは今まで以上にその人に対して優しく接することができる私になれるような気がします。