『大いなる願いの中に花は咲く』

私たちは生きて行く中で、どうしようもなく辛いことや悲しいこと、苦しいことがあったりして人生そのものに絶望するようなことがあると「もう死んでしまいたい」と思うことがあります。

けれども、死にたいと思っても、また実際に自殺を図ろうとしても、生命そのものは最後の一瞬までそれに同調することなく、どこまでも生きようとします。

考えてみますと、私の生命は私が作ったものでも、お願いした訳でもないのですが、この私をこんにちここまでずっと支え、生かし続けています。

そうすると、生命があって私が生きようと願うのではなく、生きようとする意思そのものが生命なのであり、生きようとする願いこそが生命なのだといえます。

ところが、生命として生きている願いが何か、私にはわからないのです。

つまり、その生きようとする意思が、どうなれば満足するのかがわからないのです。

けれども、具体的には今の人生が面白くないとか空しいとか不安だとか、そういうことを日々の生活の中で感じることがあるのは、実は生命そのものが感じさせているのです。

なぜ空しさを感じるのか、なぜ不安を覚えるのか、頭で考えてそうしているのではありません。

何となく空しいし、何となく不安なのです。

それは不安とか空しさとかいうものが、頭で考え出されたものではなく、生命自身が感じ取っているものだからです。

自分の生命を、自分の思いに閉じ込めて生きる道を仏教では邪道といいます。

それは、生命を自分のものだとして自分の思いに閉じ込めて私有化してしまうことです。

花は美しく咲くという花そのものの生命の願いを受けて、その生命をせいいっぱいに輝かせて生きています。

あなたは、自分の大いなる生命の願いに目覚めて生きようと…、していますか?