投稿者「鹿児島教区懇談会管理」のアーカイブ

小説 親鸞・紅玉篇4月(3)

その萱むらから十名ほどの悪童が、蝗(ばった)のように逃げだした

中に、寿童丸の姿も見えた。

介は、眼をいからせて、

「おのれっ、今日こそ、もうゆるさん」

追いかけると、寿童は、半泣きに叫びながら、携えていた竹の鞭を揮(ふる)って、介を打とうとした。

「小癪(こしゃく)なっ」

介は、鞭をもぎ奪って、寿童丸の顔を、平手で、はたいた。

枯れ草の燃えているなかへ、寿童は尻もちをついて、何か喚いた。

すると、そこらの草むらから、

「やっ、若殿を」

「うぬ、よくも」

子どもの背後には、大人が隠れていた。

叫びあって、太刀や長刀を構えながら、成田家の郎党たちが、

「うごくなっ」

と、介を取巻いて、斬りつけてきた。

介は、驚いた。

ここまで企んである悪戯(わるさ)とは思わなかったのである。

「なにをッ」

彼も太刀の鞘(さや)を払った。

ばちばちと、枯れ草を焼く火や、萱の吐く黒い煙が、その剣をくるむ。

平氏の家人とは、構えて事を争うなとは、常々、口が酸(す)くなるほど、主人から誡められていることではあるが、かくなっては、相手を斃(たお)さねば、自分が斃されるのである。

生をまもることは、人間の絶対だ。

介は、眼なじりをつりあげて、闘った。

しかし、成田の郎党たちは、常に、こういう、あら業(わざ)には馴れている侍どもだし、人数も多いので、介は、見るまに、斬りたてられた。

袖はやぶれ、小手は血に染んだ。

頬から耳の辺経駈けて、薄傷(うすで)を負うと、血の筋が、顔中にちらかって、凄惨(せいさん)な二つの眼だけが、穴みたいに光っている。

肩で、あらい呼吸(いき)をつきながら、介は、一歩一歩と、後ずさった。

【和子様は、どうしたか?】それが気にかかる。

十八公麿の車は、萱叢(かやむら)の彼方に、位置も変えずに見えるが、そこへ行こうと思っても、炎と煙と、そして相手の刃とが妨げて、近よれないのであった。

「和子さまあっ――」

介刃、ついにさけんだ。

すると、ひーっという声が、車の方で聞えた。

思わず、炎を見ずに、介は駆けだした。

「逃がすなっ」

と、刃は追う。

「あっ」

と、介は、仰天(ぎょうてん)した。

もう、十八公麿の車は、炎々と紅蓮(ぐれん)を上げて、燃えているのだ。

轍(わだち)も、車蓋(おい)も。

うわうーっ。

地が揺るぎだすように、牛が吼(ほ)えた。

牛は、炎の車を背負って、突然、ぐわらぐわらと狂奔した。

八方に、かくれていた悪童たちは、怖れて、きゃっと、逃げ廻った。

うろたえて、みずから火の方へ走って、火の海から逃げられなくなって子供もある。

「助けてーっ」

自分で放(つ)けた火に溺(おぼ)れて、寿童丸も悲鳴をあげていた。

しかし、怒りだした火牛は、仮借(かしゃく)がなかった。

悪童たちを蹴ちらし、郎党たちの刃(やいば)を轢(ひ)いて、暗い野末へ、団々たる火のかたまりを負って駛(か)けて行く。

「和子さまっ。――和子様あっ」

介は、夢中で、それを追った。

小説 親鸞・紅玉篇4月(2)

孟子、老子、五経、論語と、十八公麿の学業が目ざましい進み方で上がってゆくのを見て、寿童丸を餓鬼大将にする学舎の悪童連は、

「あいつ、生意気じゃ」

と、いよいよ、仇敵視して、

「びんぼう車の机は、このガタ机でたくさんじゃ」

と、脚の曲がった机とすりかえたり、草紙筥(そうしばこ)の中に、蛙をひそませて置いたり、襟元へ、松葉をそっと落したり、墨や筆をかくしたり、あらゆる悪戯をもって、挑戦しかけた。

だが、十八公麿は相手にならなかった。

「こいつ、唖か」

と、寿童は、いった。

二歳まで、ものをいわなかった十八公麿は、今でも時々、そのころのように、唖になった。

どんな声にとり巻かれても知覚がないように澄ましていることがある。

いよいよ、悪童たちは、莫迦(ばか)にした。

「おい、きょうは、あいつを慰んでやろう」

発議は、いつも、寿童丸であった。

「どうするのじゃ」

「帰りは、いつも、糺の原で日が暮れる。

あの辺を、びんぼう車の通るのを待ち伏せして、四方から、野火焼きしてやるのじゃ」

「おもしろい」

乾いた風が、北山から吹きなぐって、屋根の石に、ときどき、霰(あられ)のような音が走り、冬の雲が、たそがれの空をおそろしく迅(はや)く翔(か)けている。

「和子様、お風邪を召されまするな。何ぞ、車のうちで、被(かず)いておいでなさいませ」

供は、介が一人だった。

牛曳きが一人。

日野の学舎を出て、ぐわらぐわらと、夕霜の白い草原を走らせてきた。

車のうちでは、廉をあげて、書を読む声が聞こえる。

往きと、帰りと、十八公麿は、書を読んでいた。

もう、星が白く、地は暗かった。

それでも、寒風に顔を出して、書を手から離さないのであった。

「あ……」

牛飼は、立ち竦(すく)んだ。

行くに当って、大きな炎が、真っ赤に、大地を焦(や)いていた。

この風であるし、萱原(かやはら)であるし、まるで、油をそそがれたように火はまわる。

「牛飼」

「へい」

「横へ曲がれ。

少し、遠くはあるが、道はあろう」

介は、煙に咽(む)せながらいった。

車は、すこし戻って、石ころの多い萱原の小道を西へ駈けた。

するとまた、

「駄目だっ」

「なぜ」

問うまでもない。

介の眼にも、すぐわかった。

そこら一面も、焼けているのだ、後へ戻ると、そこにも火、あちらにも火、車は、みるまに十方の炎につつまれて、立ち往生してしまった。

「わはははは」

「あはははは」

どこかで、嗤(わら)う声がした。

真っ黒な煙を、天飆(てんぴょう)から、たたきつけてくる。

十八公麿は、車の中で、しきりと、咳声(せき)をして苦しがっていた。

「さては、成田兵衛の小せがれだな」

介は、もう許せないというように、太刀の柄をにぎって、笑い声のした萱の波へ躍って行った。

お仏壇をお迎え(購入)したら仏さまに「魂入れ」をしてもらうのですか?

「お仏壇を買いましたから魂入れをしてください。」

このようなご依頼をよく受けます。

浄土真宗では、新しくお仏壇をお迎え(購入)した際に、

「入仏法要」

というおつとめをします。

入仏といっても、仏さまに魂を入れるわけではありません。

そもそも、私には魂を入れたり、抜いたりといったことはできません。

お仏壇は、私たちのご先祖がお参りになった仏さまの世界・お浄土の姿を形に示されたものです。

そして、その中心にいらっしゃるのは私たちを必ず救うと誓われた阿弥陀如来という仏さまです。

新しくお仏壇をお迎えすることは、わが家に新たに仏さまをお迎えしたことを慶び感謝の思いで入仏法要をおつとめいたしましょう。

4月になりました。

4月になりました。

みなさん、いかがお過ごしでしょうか。

新たな生活をスタートされた人も多くおられることでしょう。

この時期、初々しい新社会人や幼さが残る大学生をよくお見かけいたします。

私も毎年変わらぬ4月であるようで、娘の進学や進級、友人の転勤など生活の変化を感じるものです。

そうしたとき、私も小学校への入学、卒業、そして中学校への進学、卒業。

その中で様々な出会いと別れがあったと、懐かしく思い出されると同時に、時の流れの早さを感じるものです。

一方で、今までの時の流れの早さを感じるとともに、これから過ぎ去る時間の早さに恐怖をおぼえるものです。

今までの時の流れが続くのですから、あっという間に歳をとり、そして命終えていくことでしょう。

そう考えますと、大変恐いものです。

しかし、生まれたものはいつしか命尽きていく。

まさしく諸行無常の世の中にあって、私たちは死から逃れようがないものです。

最期の時をどのように迎えるか、それが問われるのが、

「今」なのでしょう。

今を後悔なく過ごせることができれば、最期の時を不安をもって迎えることはないでしょう。

では、後悔とは何なのか。

行ったことに後悔する人は、おそらく多くはないことでしょう。

多くの人は、やらなかった事に後悔するものです。

チャレンジして失敗しても後悔は残りません。

後悔をおそれてチャレンジしなかった事に後悔するものです。

是非、新生活を迎えられた方も、毎年同じような4月だなぁと思われている方も、命尽きることに不安をおぼえないためにも、今このときを一生懸命生きてみてください。

もちろん、この私もですが。

真宗講座親鸞聖人の十念思想(4月前期)

次に、では未だ信を得ていない者はどのような姿をしているかということが問題になります。

そこで

「前念命終後念即生」

に至るまでの

「未信の私」

に注目します。

この未信の私の姿には、

「報恩行」

は成り立ちません。

なぜなら、自分は今、往生するために一心に念仏を行じているのですが、その心は迷いでしかないからです。

そのため、いかに一生懸命念仏を称えても、そこには自分の往生する道は開かれていません。

また、この者の称えている念仏は、報恩の念仏ではありませんし、往生のための念仏でもありません。

けれども、この念仏者は今、一心に南無阿弥陀仏を称えています。

では、未信者にとって、この念仏はいったい何を意味するのでしょうか。

この場合端的には、南無阿弥陀仏はこの未信の者に対して、どのような願いを持っておられるかということを考えればよいのです。

そうすると、ここでやはり阿弥陀仏の大悲心が問われなくてはなりません。

阿弥陀仏は常に未信の者に対して、その者を救うために働いておられます。

阿弥陀仏から未信者へ働きかける、その躍動の姿が南無阿弥陀仏という名号です。

したがって、未信者にとっては、自身の称名がそのまま

「念仏を称えて救われよ」

という阿弥陀仏の願いのはたらきであり、阿弥陀仏の側から自分が喚ばれている声となるのです。

これが、いわゆる本願招喚の勅命といわれる阿弥陀仏からの喚び声です。

阿弥陀仏は、その喚び声の中で

「ただ念仏して浄土に生まれよ」

と未信者に願っておられます。

けれども、悲しいことに、未信者はこの阿弥陀仏の声を直ちに聞くことは出来ません。

そこで、阿弥陀仏の喚び声を釈尊の説法を通して聞くことになるのです。

このように、阿弥陀仏の喚び声は、釈尊の説法によって私たちの心に届くのです。

このことから釈尊の説法を

「弥陀の招喚」

に対して

「釈尊の発遣」

と言い表しています。

そこで、大行とは阿弥陀仏が衆生を往生せしめる働きであることから

「大行とは則ち無碍光如来の名を称するなり」

と言われるのですが、この言葉の意味は、念仏は弥陀回向の大行であると同時に、名号を聞いて浄土に生まれよと勧めておられる釈尊の大悲の行でもあるのです。

そういうことからしますと、第十八願の全体は阿弥陀仏の働きであり、

「乃至十念」

は選択本願の行ということになります。

本願の

「乃至十念」

は、まさに阿弥陀仏から来る選択本願の行なのですが、この選択本願の行こそが、衆生が浄土に生まれることのできる唯一の行だということは、私たちにとってはただ釈尊の説法のみによって明らかになるのです。

このような意味で、釈尊の説法が浄土真実の行になるのです。

南無阿弥陀仏は選択本願の行であって、第十八願の働きです。

それに対して、

「弥陀の声を聞いて往生せよ」

というのは釈尊の勧めであり、第十七願の行になります。

ただし、その南無阿弥陀仏は、釈尊の説法を通してのみ私たちに来るのです。

小説 親鸞・紅玉篇4月(1)

2013年4月1日

今の父は、後の養父だと人がいう。

どうして自分には真の父がないのか。

寿童丸のことばをそのまま、信じはしないでも、十八公麿は、しきりと、それを考えるようになった。

母に、訊ねると、

「お父君は、和子が四歳の年の春に、お亡くなり遊ばされたのじゃ」

吉光の前は、そう明らかに教えた後で、いいたした。

「けれど、和子は、そのために、この六条の伯父君の手にそだてられ、御猶子となられたのです。

世のことわざにも、生みの親よりは育ての親という、御養父様の恩は大きい。

忘れてはなりませぬぞ」

「はい」

十八公麿は、うなずいたが、すぐ次の問いに、母を驚かせた。

「父君は、戦に出て、死んだのですか」

「いいえ、お病気(いたつき)で」

「でも、源三位頼政の戦に加わって、討死したのじゃという人がありました」

「世間というものは、種々に、人の生活(たつき)を憶測してみるものじゃ。

そんなことはありません。

母も、伯父さまも、介も、その折のご臨終の時には、お枕元に侍(かしず)いていたのじゃもの」

「どうして、世間は、そんなことをいうのでしょう」

「いわれのないことでもない。

――それは、この母の従姉弟に、今は、奥州(みちのく)の藤原秀衡のものとに潜(ひそ)んでいる源九郎義経があり、また、近ごろ、伊豆で旗挙げをしたと沙汰する頼朝がある。

――それで、亡きおもとの父も、必ずや、頼政の軍にでも加担して果てたのであろうと、邪推するのでしょう」

そして、十八公麿の頭をなでた。

「そなたは、大きゅうなっても、頼朝、義経たちのように、血の巷に、刃をとって、功名をしようなどと思うてはなりませぬぞ」

「母さま」

「なんじゃ」

「人が死ぬと、どこへ行くのではございますか」

「さあ?」

吉光の前は、常には、分かりきっているようなことが、子に、そう訊かれると、すぐ答えができなかった。

「行くとて、行く姿はあませぬ。

無にかえるだけです。

ただ、人の心だけが、残ります。

心の業だけが残ります。

ですから、生ける間に、よい事をしたものは、よい名をのこし、悪業をしたものは千載の後までも、悪の名をたましいに持って、死しての後は、それを拭(ふ)き改めることもできません」

死を考えることは、生を考えることである。

十八公麿の眼は、うっすらと、そのころから、実社会の相(すがた)に、みひらいてきた。

路傍に、飢えて、菰(こも)をかぶっている人間のすがたにも、刀創を晃(きら)めかせて、六波羅大路を練り歩く武将にも、新たな、観る眼があいて世の中を考えだした。

そして、こういう人々の種々の仮の相(すがた)が、一様に、死の無に回(かえ)って、そのたましいの名だけが、宇宙にのこる。

無限に死に、無限に生れ、無限のたましいの名だけが、不滅にある。

「ふしぎな?……」

と、彼は、つぶらな眼をじっとこらして、見ても見ても見飽かぬように、深碧(しんぺき)な、そして深く澄んだ、空に見入っていることがあった。

そういう間も、日野民部の学舎に通うことは、日々怠らなかった。