『すべてのものは移りゆくおこたらずつとめよ』(中期)

インドの北部に、マハー・パンタカ、チューダ・パンタカという兄弟がいました。

兄のマハー・パンタカはとても賢い人で、お釈迦さまの教えをよく理解し、深く仏法に帰依していました。

一方、弟のチューダ・パンタカは自分の名前さえ覚えられないほど愚かな人で、みじめで孤独な生活を送っていました。

弟思いの兄マハー・パンタカは、やむなくチューダ・パンタカを出家させ、自分が聞き学んだお釈迦さまの教えを偈文(仏の功徳をたたえる経文)にし、それを授けて暗誦するように命じました。

それは

三業に悪を造らず

有情(いきもの)を傷めず

正念に空を観ずれば

無益の苦を離るべし

という、わずか四句の偈文です。

チューダ・パンタカは、教えられた偈文を何とか覚えようと、毎日毎日、ひたすらこの偈文を口にしていました。

僧院の中でも、外で仕事をしたり道を歩いているときでも繰り返し口にしていました。

そのため、近くで働いていた牧夫の方が、いつのまにかその偈文を暗誦したほどでした。

ところが、肝心のチューダ・パンタカは、なかなかその偈文を暗記することが出来ませんでした。

朝覚えることが出来たと喜んだのも束の間、昼にはもう記憶が曖昧になっているというありさまでした。

そんな自身の愚かさを悲しんでいると、なかなか覚えられないその偈文をどこかで口ずさむ声が聞えてくるので、驚いて周りを見まわすと、いつもその偈文を耳にしていた牧夫が口にしていました。

チューダ・パンタカは、驚くと共に心からその牧夫を慕い、行き詰まると牧夫のもとを訪ね、礼を尽くしてその偈を学んでいました。

それでも、結局チューダ・パンタカは、その偈文を暗誦することは出来ませんでした。

そこで、兄のマハー・パンタカは、

「お前には仏法を学ぶことは不可能だ。これからは、自分で他の道を探しなさい」

と弟を外に放り出してしまいました。

これは、突き放すことで弟が発奮して、何とかこの偈文だけでも身に付けてくれれば願ってしたことだったのですが、チューダ・パンタカは愚直であったため、兄の真意を理解することが出来ず、ただひたすら自身の愚かさを嘆くばかりでした。

自身の愚かさに涙を流しながら途方にくれているチューダ・パンタカに気付かれたお釈迦さまは、

「自分が愚かであることに気づいている人は、智慧ある人です。

愚かであるのに自分は賢いと思っている人こそ、本当の愚か者です。」

と諭され、チューダ・パンタカに1本のほうきを渡されました。

そして、掃除をしながら

「塵を払わん、垢を除かん」

と、唱えなさいと教えられました。

それ以来、チューダ・パンタカは、来る日も来る日もお釈迦さまに教えられたその言葉を繰り返し唱え続けました。

そして、何年か経った頃、その

「塵を払わん、垢を除かん」

という言葉は、チューダ・パンタカの身体全体にしみ込んでいきました。

やがて、チューダ・パンタカはいつからともなく、

「いったい塵とは何だろう。垢とはなんだろう」

と心に問い続けるようになり、ただひたすらそのこと一つを考え続けるようになりました。

そして、いつしかそれは自分の心の塵のことであり、心の垢であることを自覚し、それらを離れ捨てきるまでになりました。

チューダ・パンタカは、いつとはなしに心に積もってしまう塵とは、自分の経験したことのみを絶対的なこととして誇る自負心や驕慢心のことであり、どこからともなくにじみ出てきて肌を覆ってしまう垢とは、自分の行動や考え方について執着する心であることを悟ったのです。

チューダ・パンタカは、決して賢くなって悟りを開いたのではありません。

どこまでも自分自身の愚かさを見つめ、まさに愚者に徹して、いよいよ仏法に生きる身になることで、まわりの人々すべての一人ひとりの尊さを讃えることのできる心豊かな人、自身が賜っているいのちの尊さに頭の下がる人となったのです。

このように、誰よりも愚かだったチューダ・パンタカが悟りを得たことに対して周囲の人々が驚いていると、お釈迦さまは

さとりには、多くのことを学ばなければいけないというのではないのです。

ほんの短い教えの言葉であっても、その言葉の本当の意味を理解し、道を求めていくならば、さとることができるのです。

と説かれたと、伝えられています。

ほんの短い言葉であってもかまわないのです。

おこたることなく、縁に触れ折りに触れ、尊いみ教えを聞くことに勤めることで、私たちはやがて願うに先立って、常に仏さまに願われている私であることに目覚めることが出来るのだと思います。