投稿者「鹿児島教区懇談会管理」のアーカイブ

小説「親鸞」について(予告)

平成24年1月16日は、浄土真宗の開祖親鸞聖人が亡くなられて750回大遠忌に当たります。

それに先立って、京都の西本願寺をはじめ、浄土真宗の別院・各寺院では、法要やいろいろな催しが営まれました。

また、作家の五木寛之さんは

「小説親鸞」

を新聞に連載され、それをまとめた本も出版されました。

今日、五木さんの作品は多くの人に愛読されていますが、当ホームページでは、昭和初期に書かれた吉川英治さんの

「親鸞」

を10月から月10回(1日・4日・7日・10日・13日・16日・19日・22日・25日・28日に更新)のペースで掲載して参ります。

今から70年以上も前に書かれた作品ではありますが、非常に面白く、かなり読みごたえのある作品です。

掲載にあたっては、原文の香気をそこなわないと思われる範囲で、漢字を仮名にひらいたりする一方、難解な漢字はなるべく原文通りに用いて、ルビをふりました。

初めて目にする漢字があったり、知っていても違う読み方がなされたりしているので、戸惑われる方もいらっしゃるかもしれませんが、読み進める内に

「漢字力」

もアップすることと思われます。

ただし、吉川さん独自の読みをされているので、そこは斟酌していただくことが必要です。

なお、作品中に、身体の障害や人権にかかわる差別的な表現も散見されますが、文学作品でもあり、かつ著者が故人でもありますので、作品発表時の表現のままにしましたこと、ご諒承ください。

「教行信証」の行と信(9月前期)

6.行と信と証

そこで、次に

「行巻」

から

「信巻」

へということになります。

この

「信巻」

では

「正定聚の機」

が明かされます。

ところで、私たちは最初から信を得ているわけではありません。

本来私たち衆生は迷える者です。

まさに真実の信がないからこそ迷っている訳で、もしこの者にすでに信があればおかしなことになります。

したがって、正定聚の機とは

「信巻」

の結論ということになります。

「信巻」

全体の流れでみれば、

「信巻」

は未だ信を獲ていないものが、どのように阿弥陀仏の法を聞き、最終的にいかにして正定聚の機になるかということが明かされることになります。

いわば

「信巻」

は、未信の衆生における獲信の構造を教えているのです。

これに対して

「行巻」

は、未信者に対して獲信せしめる法とは何かということが説かれています。

未信者が獲信する唯一の道は聞法に尽きるのですが、その聞法の内容、つまりいま私に聞こえてくる法の内実が、

「行巻」

で説かれている事柄なのです。

ですから、

「行巻」

は絶対に

「信巻」

の前に置かれている必要があります。

「行巻」と

「信巻」

は、同一の行信が書かれているのであるから、説く者の気持ちでどちらが先でもよいという考えもあります。

けれども、獲信の構造から窺うと、それは行信の関係についての理解が不足していると言わざるを得ません。

「行巻」の行は、

「信巻」

の信に対して聞かしめる法ですから、

「行巻」は絶対に

「信巻」

よりも先でなければならないのです。

そして

「信巻」の信は、

「行巻」

の行の内容を聞法することになるのです。

さて、ここで行と信と証についての、親鸞聖人の思想の特徴を見ることにしたいと思います。

私たちの人生は、時間的に生から死の方向に流れています。

その時間の流れの中で、まず教えを聞き、次に信じ、それから行じて証果を得る。

これが仏道者の生から死に至る流れです。

この場合、教えとは仏法のことですから仏の側に属します。

それに対して、その教えを聞き、信じ、行じ、証果(悟り)を得るのはいずれも衆生です。

このように、仏教一般では、教えは仏の側にあって、聞いて信じて行じて、証果を得るのは衆生の問題になります。

したがって、信と行と証とはすべて同一人の事柄であって、教えを信じる人と、その教えを行じる人が違えば大変です。

これでは、仏道は成り立ちません。

聞いて信じ、行じて証果を得るのは、すべて同一人の中で起こらなければならないのです。

だからこそ、仏道には時間の流れが必要なのであって、この場合、行から証に至るには、無限に長い時間と厳しい修行が求められます。

そのため仏教では、証果に得るのは至難なことであり、当然のことながら行は必ず難行でなければならないのです。

ところで、このような仏道は、親鸞聖人においては

「化身土巻」

の問題になっています。

それは、阿弥陀仏の教えを聞いて行じて証果を得るという仏道なのですが、末法時代の凡夫には、このような仏道は成立しないというのが親鸞聖人の思想の特色です。

このことは、比叡山での親鸞聖人の修行の結果に基づくものなのですが、山での行に一心に励まれたものの、親鸞聖人には証果が得られなかったのです。

これが聖人の比叡山での最大の悩みになるのですが、この苦悩のどん底において親鸞聖人はやがて法然聖人に出遇われます。

ここで、法然聖人と親鸞聖人との出会いの場を考えてみたいと思います。

親鸞聖人は、法然聖人のもとで獲信しておられます。

親鸞聖人には、法然聖人と出遇われる以前に、比叡山での厳しい行道があったのですが、その行道で獲信されたのではなく、むしろ比叡山での行道は親鸞聖人を破綻の方向に導いたのです。

比叡山での行道の一切が破れ、深淵なる絶望に陥られた時、親鸞聖人は法然聖人と出遇われることになります。

「うたのちから」−幸せになるために人は生れてきた−(上旬)『折り鶴』

======ご講師紹介======

梅原司平さん(シンガーソングライター)
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『折り鶴』作詞・作曲梅原司平

生きていてよかった

そりを感じたくて

広島のまちから

私は歩いてきた

苦しみをことばに

悲しみをいかりに

きずついたからだで

ここまで歩いてきた

この耳をふさいでも

聞える声がある

この心閉ざしても

あふれる愛がある

はばたけ折り鶴

私からあなたへ

はばたけ折り鶴

あなたから世界へ

私がこの歌を作ってもう30年になります。

この『折り鶴』の歌を作っていなかったら、私はとっくに歌をやめていたかもしれません。

それがいつの間にか人づてに伝わっていって、やがて学校で歌われるようになりました。

広島・長崎への修学旅行に選ばれた学校。

そして、平和学習の一つとして、あの原爆の像のそばに行っていろいろ学習した後、その周りで『折り鶴』を歌うという学校がいくつもあります。

そんな学校に呼ばれて歌いに行ったりすることもあります。

ときには、たくさんの生徒の前で歌ったこともありました。

でもこの歌はテレビやラジオで流れることはありません。

人から人へと伝わっていきます。

私はそれがいいんだと思います。

いろいろな被爆者のみなさんとの出会いの中でこの歌を作りました。

平和のこともいろいろと考えていくうちに、今年もどれだけの人が亡くなったんだろうと思いを巡らせました。

2011年は、その1年間で5785人の被爆者の方が亡くなっています。

原爆死没者名簿にはトータルで275,230人(広島市)と記載されています。

そうして、ずっと死に続けている人たちについて、井上ひさしさんは

「原爆は今も静かに爆発し続けている」

という言葉を残しておられます。

最近ではオスプレイのことが問題になっています。

インターネットで見ると、新聞やテレビでは報道されない情報もいっぱい出てきます。

東京大学のある教授は、原発問題では安全神話が犠牲を押しつけるために使われた。

そして、沖縄の米軍基地問題では、いわゆる米軍の抑止力論をたてに多くの犠牲者を出している。

「犠牲のシステム」

と、その先生は名付けました。

他人の犠牲の上に基地問題も原発問題もあるんです。

他人の犠牲の上に私たちの幸せがあっていいのだろうか、ということを新聞で問いかけられました。

その通りです。

私も調べてみたのですが、57年間で沖縄で起きた事件や事故はなんと266,805件あります。

そのうち、死亡者は1,084人もいるということが分かりました。

これだけ沖縄の人が苦しんでいる。

もう嫌だというのは当たり前でしょう。

こんな話をしながらコンサートをやると

「あなたは何でそんなことをいろいろ言いながらやるのか。

歌だけうたっていれば、いいじゃないか」

というようなこともよく言われたりします。

でも、それをなくしたら、自分は自分でなくなってしまいます。

そんなことをつくづく思いながら、今までやってきました。

シャンソンでもロックでも同じです。

さまざまな思いから歌は作られています。

私もいろんな出来事や被爆者の人たちとの出会いを通して『折り鶴』という曲を作ったんです。

最近感じたこと・・・

最近感じたこと・・・

毎日納骨堂にお参りにいらっしゃるご門徒さん。

もちろん、毎回ニコッと笑顔で挨拶、手を振ってくださったり、日常会話を楽しんだり。

その方が、ある日、納骨壇にお参り中、灰をこぼされたそう。

そんなとき、偶然お隣でお参りをされていた方が、一緒にお掃除をしてくださったとのことでした。

ここから、毎日納骨壇にお参りされる方をAさん、お掃除を手伝ってくださった方をBさんとしますね。

掃除をしながらAさんとBさんは会話をしました。

すると、またまた偶然にも、Bさんの親戚の方とAさんは一緒に仕事をしたことがあったそう。

話しもはずんだことでしょう。

数日後、このような話をAさんが私たち(お寺の受付窓口)にしてくださいました。

そして、Aさんは、

「掃除をしてもらったお礼をどうしてもしたいから、Bさんの連絡先を教えてください」

とおっしゃいました。

私たち:

「最近は個人情報等の問題もあるので、こちらからBさんに連絡をいれて、連絡先をお教えしてもいいかを確認してみますね〜」

そしてBさんに連絡をいれて、お話をしたところ、

Bさん:

「ではこちらから連絡をAさんにいれてみるので、Aさんの連絡先を教えてください。」

私たち:Aさんの連絡先を教える。

それからまた数日後、Aさんが納骨堂に参拝にいらっしゃいました。

Aさん:

「Bさんの連絡先を教えて」

私たち:

「Bさんに連絡先をお教えしたので、連絡がくるはずですよ」

Aさん:

「い〜や、連絡はまだこないから、こちらからしてみるので教えて」

私たち:

「う〜ん・・・」

Aさん:

「私はいつもここに来ているし、私のことは分かるでしょう」

私たち:

「連絡がBさんからあるはずなので、待ってみてください。

すみませんね〜(>_<)」 Aさん: 「もういい。不親切だね〜」 っと怒ってしまいました。 その後、AさんとBさんは連絡をとることが出来たのですが、 Aさんはこの件をきっかに、受付の前をす〜っと通っていくようになりました。 あまり挨拶もされなくなってしまいました。 受付をさけるように、通っていかれます。 私は、考えてしまいました。 もうちょっと、違う対応の仕方があったのではないか。 けれど連絡先を確認もとらず教えるわけにはいかない。 どうしたら、Aさんに不愉快な思いをさせることなく、事情を分かっていただけたのだろうか。 今Aさんはどのような気持ちで受付前を通過されて、納骨壇に向かわれるのだろうか・・・ やっぱりおだやかな心でお参りをしていただきたいのに、それをそこで働いている私たちが、こわしてしまったのではないだろうか・・・ これからの毎日で、少しずつでもわだかまりのようなものをほぐしていく努力をしていこうと思います。 人と人との関わりを大切にしていかなくてはなりませんね。

『お盆いのちの絆を思う』

ある日、お参り先で一冊の本をいただきました。

手にした途端、私の目に飛び込んできたのは、真白な表紙に墨字で書かれた

「あなたへ」

の文字。

医師であったご主人が、自らの闘病を日記形式で綴られたその本の巻頭には、亡きご主人へのメッセージが添えられていました。

まず、そのメッセージをご紹介します。

「もしも、誰かが私の願いを叶えてくれるなら、私はあなたに携帯電話を届けて欲しい。

そしてもう苦しくないですか?…って聞くのです。

そして次は、あなたはよく頑張ったわね。

でも、あなたのことをわかってあげられなくて、ごめんなさい。

私はあなたの辛さをわかっていたつもりだったけれど、本当は何もわかっていなかったと、今思います。

ごめんなさい。

頑張って、頑張って生きてねという代わりに、辛いね、辛いねと言ってあなたを抱きしめてあげればよかった。

ただされだけでよかったのですよね。

いつもそばにいたのに、どうして分からなかったのでしょう。

本当にごめんなさい…」

仏さまのお心は、一切を否定しないで、全てをありのままに受け入れる心であると言われます。

「あなたはあなたのままで、そのままでいいよ。

頑張らなくてもいいよ」

と、いつでもどこでも私の中で、終始より添っていて下さるのが南無阿弥陀仏の仏さまのお心です。

時には、

「頑張れ」

の励ましの言葉も必要かもしれません。

でも

「つらいね」

「悲しいね」

「しんどいね」

と、ありのまま共感してもらえる世界があることに、

「いのちの絆」

を知らされたことです。

「教行信証」の行と信(8月後期)

5.「行巻」の流れ

ここで、しばらく

「行巻」

の流れを見てみます。

「行巻」

の冒頭は、

「出体釈」

と呼ばれている部分で、親鸞聖人の言葉から始まります。

そして次に大経引文があり

「称名破満釈」

に続きます。

ここで釈尊の説法が結ばれる訳で、称名は南無阿弥陀仏のはたらきですから、必ず一切の無明の破られることが明かされます。

そしてこれから後に、七高僧(龍樹・天親・曇鸞・道綽・善導・源信・源空)の言葉が引用されるのです。

ところで、この七高僧の引用文で、親鸞聖人は何を問題にしておられるのでしょうか。

一般的に仏道で行と言えば、仏になるために行ずべき行法が説かれるはずです。

ところが、龍樹引文を見ますと、この引文には龍樹菩薩自身、どのように行をはげみ、信を得たかということについては一言も書かれていません。

それは、天親引文でも同じなのです。

七祖引文では、七祖がいかに行に励み信を得たかということについては、一言も説かれていないのです。

私たちが、常識的な立場から

「行巻」

の行というものを考えますと、どうしても私が仏になるための

「行」

ととらえてしまうのではないでしょうか。

どのように一心にその行を行ずべきかと、まず考えてしまいます。

ところが

「教行信証」の

「行巻」

では、そのような行については一言も説かれていないのです。

では、どのような行が説かれているのでしょうか。

龍樹引文では、一切の諸仏が阿弥陀仏の本願を讃嘆していることが示されます。

なぜ諸仏は阿弥陀仏を讃嘆するのでしょうか。

それは、阿弥陀仏の本願が最高だからです。

そこで、龍樹菩薩もまたその釈尊の教えを承けて、阿弥陀仏の本願を讃嘆されるのです。

天親引文も同じです。

天親菩薩は、龍樹菩薩の教えを承けて阿弥陀仏の本願を観察されるのですが、その本願こそが一切の衆生を救うのだと讃えておられます。

このように見ますと、龍樹菩薩も天親菩薩も、いかに行じて信を得、浄土に生まれたかという行を

「行巻」

で述べておられるのではなく、すでに信を得ておられる龍樹菩薩と天親菩薩が、未信の衆生に本願の素晴らしさを説いておられることになります。

このことは曇鸞引文も同じです。

天親菩薩の教えを承けられて、天親菩薩によって明らかにされた阿弥陀仏の教えを、今度は凡夫の立場からよろこび説いておられるのです。

したがって、

「行巻」

の行は、未信の衆生がいかに念仏して信を得るかを問題にしているのではないのだと言えます。

「行巻」

では、未信のものの修すべき行については、一言も書かれてはいません。

諸仏と既に獲信した念仏者の、未信の衆生に対する名号の讃嘆が明かされているばかりです。

それは、名号の伝達を意味します。

七高僧は、いずれも釈尊が説かれた阿弥陀仏の法に信順しておられます。

その阿弥陀仏の法は、釈尊の心を通して、初めて私たち人間界に出現しました。

そして、釈尊から龍樹菩薩へ、龍樹菩薩から天親菩薩へ、天親菩薩から曇鸞大師へと、名号の真実が誤りなく親鸞聖人に伝わっていったということを

「行巻」

は示しているのです。

そうしますと、

「行巻」

の行は、諸仏とすでに信を獲た人が阿弥陀仏を讃嘆するという

「行為」

が説かれていることになります。

そして、その行為を通して、選択本願の行としての名号のはたらきが明かされているのです。

したがって、

「行巻」

の一つの中心は阿弥陀仏の法の伝達にあり、いま一つの中心は、その阿弥陀仏によって選択された名号とは何かを示しているのだといえます。

「行巻」

の標題の註には

「浄土真実の行」

「選択本願の行」

と書かれていますが、

「浄土真実の行」

とは、衆生を往生せしめる名号の説法になり、

「選択本願の行」

とは、説法によって明かされた名号を指しているのだと言えます。

このように見ますと、七祖引文の前半は、名号の讃嘆が中心になり、善導引文でこれが二つに分かれます。

善導大師の引文では、名号とは何かが問われ、その名号についての親鸞聖人の解釈が示されることになるからです。

そして、それに続くご自釈、両重因縁釈から行一念釈、他力釈、一乗海釈で名号の功徳が説かれるのです。

一応

「行巻」

の構造は、このようにとらえることができます。