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先月開催されていたロンドンオリンピックでは、2004年のアテネオリンピックの37

先月開催されていたロンドンオリンピックでは、2004年のアテネオリンピックの37個のメダル獲得を超えて過去最高の38個のメダルラッシュに日本中が大いに盛り上がったことです。

それぞれにお目当ての競技の試合を見るために深夜遅くまでテレビの前で眠い目をこすりながら応援された方々も多くおられたことと思います。

私もその中の一人ではありますが…。

選手の方々は、このオリンピックの舞台に辿り着くまでに相当な努力を重ね、度重なる苦難を乗り越えながら出場されたことであろうと思います。

メダルを取れたか取れなかったかということは、確かに目に見える結果としては大変重要なことですが、そこに辿り着くまでの過程というものがもっと大切なように思います。

日本の競泳の選手が銀メダルを取ったときに、

「このメダルは27人で取ったメダルです」

ということをインタビューで述べていました。

自分一人だけの力でなく、みんなが力を合わせたからこそ取れたメダルだというのです。

日本の競泳界は、前回・前々回のオリンピックで金メダルを取っていた北島選手が中心になってみんなを引っ張ってきました。

今回のオリンピックでは、競泳リレーの時までに既に多くの選手がいくつもメダルを取っていました。

その中で、北島選手はまだメダルを取れていない状況でした。

しかしながら、メダルを取っていないという悲壮感を見せることなく他の選手に接していたと伝えられています。

そして、リレーを迎える前、北島選手以外の3人の選手は、

「(北島)康介さんをメダルなしで帰すわけにはいけない!」

という気持ちを確かめ合った上でレースにのぞんだことを、後からテレビで選手がコメントしていました。

そういうふうに思ってもらえる北島選手、そして北島選手のためにとメダルをと頑張っている選手の姿がとても素敵に思えることでした。

自分だけが満足できれば良いのではなく、自分以外の人の幸せを心から願えるような、そんな姿は尊く輝いてみえることでした。

『仏道人生の事実から目をそらさない生き方』

仏教をお開きになったお釈迦さまが、出家をするに至る大きなきっかけとなったエピソードとして、

「四門出遊(しもんしゅつゆう)」

というお話があります。

お釈迦さまの生活は、シャカ族の王子として何不自由のない環境が与えられていました。

しかしある時、城下の人々の様子をうかがおうと、おつきの家来を連れてまず東の門から出られた時のことです。

ほどなくして、よたよたと杖をついて歩く一人の老人の姿が目に飛び込んできました。

すかさずおつきの家来にこう尋ねられます。

太子問う、

「何を謂いてか老と為す」

従者答う、

「此人、昔、嬰児、童子、少年を経たるも、遷謝して止らず。

遂に根熟するに至り、形変じて色衰え、飲食消せず、

気力虚微、坐起に苦極し、余命幾ばくもなし。

故に謂て老人と為す」

太子問う、

「唯、此の人のみ老なりや、一切皆然るや」

従者答う、

「一切皆、悉くかくの如くなるべし」

お釈迦さまはこの年老いた人をご覧になり、そうおつきの家来と言葉を交わし、大きな苦悩を抱きながらお城へと帰っていかれました。

またある時、今度は南の門から出られた時、病に苦しみ横たわっている病人の姿に出会い、西の門からは、亡くなった死者を運ぶ葬列に出会い、最後、北の門から出られた時、穏やかな顔で歩く出家した修行者に出会われたそうです。

この

「四門出遊」

と言われる様々な場面を通じてお釈迦さまは、人間のいのちとは、生きるとは、死ぬとは、喜びとは、多くの葛藤と感情がお釈迦様の心を大きく動かし、29歳の時に出家の決心をされ、全ての環境、王子という位を投げ捨ててお城を出られるのです。

何不自由のない生活が約束されていたとしても、どんなに目先の楽しみを追い求めても、老いて、病にかかり、そしてやがては全てを置いて死んでいかなければならないという、

決して逃れることのできない老、病、死の実体は、現代に生きる私たちもまた誰もがその苦しみを抱えながら生きているのではないでしょうか。

このお釈迦さまの苦悩こそ仏教の出発点であり、この事実と共にどのように生きるのかが仏道でありましょう。

「仏法を聞くと、死の話になるから嫌だ」

という声を聞いたりします。

確かに死の話は楽しいものではありませんし、できれば避けて通りたいものです。

しかし、

「死」

を無視して、死に目をつぶって生きることは、

「本当の意味での生きることではない」

とお釈迦さまは仰います。

親鸞さまは

「後生の一大事」

と仰います。

欲望や執着に目が向いている間はなかなかそのことに気付きませんが、この人生の事実を

「問い」

として生きるところに、かけがえのない仏道が開かれているような気がいたします。

仏教は、

「生老病死」

を避けるのではなく、その事実をしっかり正しく見据えるところから始まります。

小説「親鸞」について(予告)

平成24年1月16日は、浄土真宗の開祖親鸞聖人が亡くなられて750回大遠忌に当たります。

それに先立って、京都の西本願寺をはじめ、浄土真宗の別院・各寺院では、法要やいろいろな催しが営まれました。

また、作家の五木寛之さんは

「小説親鸞」

を新聞に連載され、それをまとめた本も出版されました。

今日、五木さんの作品は多くの人に愛読されていますが、当ホームページでは、昭和初期に書かれた吉川英治さんの

「親鸞」

を10月から月10回(1日・4日・7日・10日・13日・16日・19日・22日・25日・28日に更新)のペースで掲載して参ります。

今から70年以上も前に書かれた作品ではありますが、非常に面白く、かなり読みごたえのある作品です。

掲載にあたっては、原文の香気をそこなわないと思われる範囲で、漢字を仮名にひらいたりする一方、難解な漢字はなるべく原文通りに用いて、ルビをふりました。

初めて目にする漢字があったり、知っていても違う読み方がなされたりしているので、戸惑われる方もいらっしゃるかもしれませんが、読み進める内に

「漢字力」

もアップすることと思われます。

ただし、吉川さん独自の読みをされているので、そこは斟酌していただくことが必要です。

なお、作品中に、身体の障害や人権にかかわる差別的な表現も散見されますが、文学作品でもあり、かつ著者が故人でもありますので、作品発表時の表現のままにしましたこと、ご諒承ください。

「教行信証」の行と信(9月前期)

6.行と信と証

そこで、次に

「行巻」

から

「信巻」

へということになります。

この

「信巻」

では

「正定聚の機」

が明かされます。

ところで、私たちは最初から信を得ているわけではありません。

本来私たち衆生は迷える者です。

まさに真実の信がないからこそ迷っている訳で、もしこの者にすでに信があればおかしなことになります。

したがって、正定聚の機とは

「信巻」

の結論ということになります。

「信巻」

全体の流れでみれば、

「信巻」

は未だ信を獲ていないものが、どのように阿弥陀仏の法を聞き、最終的にいかにして正定聚の機になるかということが明かされることになります。

いわば

「信巻」

は、未信の衆生における獲信の構造を教えているのです。

これに対して

「行巻」

は、未信者に対して獲信せしめる法とは何かということが説かれています。

未信者が獲信する唯一の道は聞法に尽きるのですが、その聞法の内容、つまりいま私に聞こえてくる法の内実が、

「行巻」

で説かれている事柄なのです。

ですから、

「行巻」

は絶対に

「信巻」

の前に置かれている必要があります。

「行巻」と

「信巻」

は、同一の行信が書かれているのであるから、説く者の気持ちでどちらが先でもよいという考えもあります。

けれども、獲信の構造から窺うと、それは行信の関係についての理解が不足していると言わざるを得ません。

「行巻」の行は、

「信巻」

の信に対して聞かしめる法ですから、

「行巻」は絶対に

「信巻」

よりも先でなければならないのです。

そして

「信巻」の信は、

「行巻」

の行の内容を聞法することになるのです。

さて、ここで行と信と証についての、親鸞聖人の思想の特徴を見ることにしたいと思います。

私たちの人生は、時間的に生から死の方向に流れています。

その時間の流れの中で、まず教えを聞き、次に信じ、それから行じて証果を得る。

これが仏道者の生から死に至る流れです。

この場合、教えとは仏法のことですから仏の側に属します。

それに対して、その教えを聞き、信じ、行じ、証果(悟り)を得るのはいずれも衆生です。

このように、仏教一般では、教えは仏の側にあって、聞いて信じて行じて、証果を得るのは衆生の問題になります。

したがって、信と行と証とはすべて同一人の事柄であって、教えを信じる人と、その教えを行じる人が違えば大変です。

これでは、仏道は成り立ちません。

聞いて信じ、行じて証果を得るのは、すべて同一人の中で起こらなければならないのです。

だからこそ、仏道には時間の流れが必要なのであって、この場合、行から証に至るには、無限に長い時間と厳しい修行が求められます。

そのため仏教では、証果に得るのは至難なことであり、当然のことながら行は必ず難行でなければならないのです。

ところで、このような仏道は、親鸞聖人においては

「化身土巻」

の問題になっています。

それは、阿弥陀仏の教えを聞いて行じて証果を得るという仏道なのですが、末法時代の凡夫には、このような仏道は成立しないというのが親鸞聖人の思想の特色です。

このことは、比叡山での親鸞聖人の修行の結果に基づくものなのですが、山での行に一心に励まれたものの、親鸞聖人には証果が得られなかったのです。

これが聖人の比叡山での最大の悩みになるのですが、この苦悩のどん底において親鸞聖人はやがて法然聖人に出遇われます。

ここで、法然聖人と親鸞聖人との出会いの場を考えてみたいと思います。

親鸞聖人は、法然聖人のもとで獲信しておられます。

親鸞聖人には、法然聖人と出遇われる以前に、比叡山での厳しい行道があったのですが、その行道で獲信されたのではなく、むしろ比叡山での行道は親鸞聖人を破綻の方向に導いたのです。

比叡山での行道の一切が破れ、深淵なる絶望に陥られた時、親鸞聖人は法然聖人と出遇われることになります。

「うたのちから」−幸せになるために人は生れてきた−(上旬)『折り鶴』

======ご講師紹介======

梅原司平さん(シンガーソングライター)
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『折り鶴』作詞・作曲梅原司平

生きていてよかった

そりを感じたくて

広島のまちから

私は歩いてきた

苦しみをことばに

悲しみをいかりに

きずついたからだで

ここまで歩いてきた

この耳をふさいでも

聞える声がある

この心閉ざしても

あふれる愛がある

はばたけ折り鶴

私からあなたへ

はばたけ折り鶴

あなたから世界へ

私がこの歌を作ってもう30年になります。

この『折り鶴』の歌を作っていなかったら、私はとっくに歌をやめていたかもしれません。

それがいつの間にか人づてに伝わっていって、やがて学校で歌われるようになりました。

広島・長崎への修学旅行に選ばれた学校。

そして、平和学習の一つとして、あの原爆の像のそばに行っていろいろ学習した後、その周りで『折り鶴』を歌うという学校がいくつもあります。

そんな学校に呼ばれて歌いに行ったりすることもあります。

ときには、たくさんの生徒の前で歌ったこともありました。

でもこの歌はテレビやラジオで流れることはありません。

人から人へと伝わっていきます。

私はそれがいいんだと思います。

いろいろな被爆者のみなさんとの出会いの中でこの歌を作りました。

平和のこともいろいろと考えていくうちに、今年もどれだけの人が亡くなったんだろうと思いを巡らせました。

2011年は、その1年間で5785人の被爆者の方が亡くなっています。

原爆死没者名簿にはトータルで275,230人(広島市)と記載されています。

そうして、ずっと死に続けている人たちについて、井上ひさしさんは

「原爆は今も静かに爆発し続けている」

という言葉を残しておられます。

最近ではオスプレイのことが問題になっています。

インターネットで見ると、新聞やテレビでは報道されない情報もいっぱい出てきます。

東京大学のある教授は、原発問題では安全神話が犠牲を押しつけるために使われた。

そして、沖縄の米軍基地問題では、いわゆる米軍の抑止力論をたてに多くの犠牲者を出している。

「犠牲のシステム」

と、その先生は名付けました。

他人の犠牲の上に基地問題も原発問題もあるんです。

他人の犠牲の上に私たちの幸せがあっていいのだろうか、ということを新聞で問いかけられました。

その通りです。

私も調べてみたのですが、57年間で沖縄で起きた事件や事故はなんと266,805件あります。

そのうち、死亡者は1,084人もいるということが分かりました。

これだけ沖縄の人が苦しんでいる。

もう嫌だというのは当たり前でしょう。

こんな話をしながらコンサートをやると

「あなたは何でそんなことをいろいろ言いながらやるのか。

歌だけうたっていれば、いいじゃないか」

というようなこともよく言われたりします。

でも、それをなくしたら、自分は自分でなくなってしまいます。

そんなことをつくづく思いながら、今までやってきました。

シャンソンでもロックでも同じです。

さまざまな思いから歌は作られています。

私もいろんな出来事や被爆者の人たちとの出会いを通して『折り鶴』という曲を作ったんです。

最近感じたこと・・・

最近感じたこと・・・

毎日納骨堂にお参りにいらっしゃるご門徒さん。

もちろん、毎回ニコッと笑顔で挨拶、手を振ってくださったり、日常会話を楽しんだり。

その方が、ある日、納骨壇にお参り中、灰をこぼされたそう。

そんなとき、偶然お隣でお参りをされていた方が、一緒にお掃除をしてくださったとのことでした。

ここから、毎日納骨壇にお参りされる方をAさん、お掃除を手伝ってくださった方をBさんとしますね。

掃除をしながらAさんとBさんは会話をしました。

すると、またまた偶然にも、Bさんの親戚の方とAさんは一緒に仕事をしたことがあったそう。

話しもはずんだことでしょう。

数日後、このような話をAさんが私たち(お寺の受付窓口)にしてくださいました。

そして、Aさんは、

「掃除をしてもらったお礼をどうしてもしたいから、Bさんの連絡先を教えてください」

とおっしゃいました。

私たち:

「最近は個人情報等の問題もあるので、こちらからBさんに連絡をいれて、連絡先をお教えしてもいいかを確認してみますね〜」

そしてBさんに連絡をいれて、お話をしたところ、

Bさん:

「ではこちらから連絡をAさんにいれてみるので、Aさんの連絡先を教えてください。」

私たち:Aさんの連絡先を教える。

それからまた数日後、Aさんが納骨堂に参拝にいらっしゃいました。

Aさん:

「Bさんの連絡先を教えて」

私たち:

「Bさんに連絡先をお教えしたので、連絡がくるはずですよ」

Aさん:

「い〜や、連絡はまだこないから、こちらからしてみるので教えて」

私たち:

「う〜ん・・・」

Aさん:

「私はいつもここに来ているし、私のことは分かるでしょう」

私たち:

「連絡がBさんからあるはずなので、待ってみてください。

すみませんね〜(>_<)」 Aさん: 「もういい。不親切だね〜」 っと怒ってしまいました。 その後、AさんとBさんは連絡をとることが出来たのですが、 Aさんはこの件をきっかに、受付の前をす〜っと通っていくようになりました。 あまり挨拶もされなくなってしまいました。 受付をさけるように、通っていかれます。 私は、考えてしまいました。 もうちょっと、違う対応の仕方があったのではないか。 けれど連絡先を確認もとらず教えるわけにはいかない。 どうしたら、Aさんに不愉快な思いをさせることなく、事情を分かっていただけたのだろうか。 今Aさんはどのような気持ちで受付前を通過されて、納骨壇に向かわれるのだろうか・・・ やっぱりおだやかな心でお参りをしていただきたいのに、それをそこで働いている私たちが、こわしてしまったのではないだろうか・・・ これからの毎日で、少しずつでもわだかまりのようなものをほぐしていく努力をしていこうと思います。 人と人との関わりを大切にしていかなくてはなりませんね。