4月4日の南日本新聞に
「隠れ念仏回覧文発見−禁制下、薩摩12講へ」
という記事が掲載されました。
「隠れ念仏」
というのは、浄土真宗を信じることが禁じられた薩摩藩や人吉藩で、浄土真宗の門徒がひそかに続けた信仰形態のことです。
薩摩藩の治世下では、島津義弘が16世紀末に禁教令を出し、信教の自由が認められた1876年(明治9年9月5日)まで280年近くにわたって浄土真宗門徒へ取り締まりや弾圧が続きました。
にもかかわらず、浄土真宗の門徒は講という組織を作り、洞窟などに隠れてひそかに念仏を称えました。
特に江戸後期以降に強まった弾圧は指導者や武士階層に対して厳しく行われ、10万人以上の念仏者が摘発されたとも伝えられています。
そのため
「廻章」
を次に回すだけでも、おそらく命懸けのことだったと思われます。
今回発見されたのは、門徒が極秘に回覧した文書
「廻章(かいしょう)」
の写しで、南さつま市加世田の個人宅に保管されていたものです。
これには、門徒の組織である「講」を単位に情報を回覧した様子や文書の回収手順が記されているとのことで、当時の情報伝達の実態を知ることが出来る極めて貴重なものです。
今回見つかった
「廻章」は、1805(文化2)年に僧「全水」が書いたものとみられ、京都の本山(西本願寺)についての情報を薩摩の門徒に知らせることが目的だと明記してあるそうです。
さらに、回覧後は、薩摩藩内に潜伏中の僧
「令終」
が回収して持ち帰る手はずだとし、もしそれが難しい場合は
「火中に投じ」
て処分するように指示してあったとのことです。
また、同時に見つかった関連文書には、江戸時代後期、浄土真宗本願寺派内で起きた教義の正当性をめぐる紛争(三業惑乱)についても書かれていたとのことから、当時の薩摩の門徒は、最新の中央の情報に強い関心を寄せていたことが窺えます。
今回見つかったのは写しであったことから、原本は回収されたのか、あるいはなぜ摘発されれば証拠となる写しを、危険を顧みず作成したのかなど、
「廻章」
をめぐる調査は今も続いているそうです。
坊津歴史資料センター輝津館で、年内に企画展が開かれるそうなので、機会があれば一度見てみたいものです。
ところで、念仏禁制が解かれてから既に140年近くともなると、鹿児島県内においても、江戸時代全国的にキリスト教が幕府によって禁止弾圧されたことは学校の授業などを通して知ってはいても、それに輪をかけて自分たちの住んでいる鹿児島県で浄土真宗が禁止弾圧されたことを知っている人は極めて少なく、浄土真宗のご門徒の方でもそのことをご存知ない方の方が多いような状況です。
今回の貴重な資料の発見がひとつの契機となって、浄土真宗にご縁のある方々が、自分たちの先祖が命がけで守り伝えてきた念仏の教えとはいったいどのような教えなのか、そのことに強く関心を寄せるきっかけとなれば、大変有り難いご縁だと思うことです。