食事とは いのちをいただくこと

 ある幼稚園で、子ども達に魚を描かせたら、皿の中に魚の切り身を描いた子がいたという話があります。

最近は、加工済みでトレーに入っている姿でしか目にしないので、加工前の姿や形がわからない食べ物が多くなってきました。

そのような意味で、食物のいのちが見えない時代なのかもしれません。

 私達は、食卓にあがるものが「いのち」であることをしばしば忘れがちです。

魚や肉はもちろんのこと、お米や野菜もそうです。

いわば、口に入るもの全てが、それぞれに「いのち」が姿を変えたものだと言えます。

まさに私達は毎日、数多くの「いのち」を頂きながら生きているのです。

 今日、日本は飽食の時代といわれます。

そのため、いま子ども達に「もったいない」という言葉の概念を教えることは大変難しい時代だといえます。

「勿体ない」という言葉、元来は感謝の言葉です。

それは「無駄にしてはいけない」という意味と共に「こんな私のために、有り難う」という意味が込められた言葉です。

 仏教は全ての生きものが同じように尊い「いのち」を持っていることを教えます。

その「いのち」を頂いて生きているのが、私たち人間です。

私たちの「いのち」を支えてくる無数の「いのち」に感謝の気持ちを忘れないためにも、食前の「頂きます」、食後の「ごちそうさま」という言葉を心掛けたいものです。