辞書には「神仏・怨霊などが災いをする」ことを「たたり」、「神仏が人の悪行を懲らすこと、悪事のむくい」を「バチ」と説明してあります。
つまり、たたりもバチも目に見えない、人間を超えた力によってもたらされる災いや不幸だと理解されている訳です。
ここで気になるのは、仏さまが「たたり・バチ」を与える片棒を担がされていることです。
このような誤解は、まさに「仏法を聞かない」ところから生まれたのだといわざるを得ません。
なぜなら、仏さまとはそのような畏れから人間を解き放つ存在だからです。
私達の人生は決して自分の思い通りに行くことばかりではありません。
生老病死の四苦を始めとして、むしろ思い通りに行かないことが満ち溢れてさえいます。
その事実に目を向け、自分の身に起ったことを引き受けていく勇気を「智慧(ちえ)」といいます。
一方、上手く行かないことの一つひとつを責任転嫁していく在り方を「愚痴(ぐち)」といいます。
一度限りの人生を智慧の光に照らされて生きるか、愚痴の闇に迷い、たたりやバチを畏れて惑うか。
それはただ仏法を聞き得るかどうかにかかっていると言えます。