『老いてみて わかることのある喜び』

「無量寿」という言葉を聞きますと、私達は寿命が何千年、何万年と続いていくかのようにイメージします。

けれども長生不死ということがそのまま喜びになるかというと、そこに喜びが伴わなければ、むしろ終わりのないことが苦痛になってしまうと思われます。

ですから、長生不死とか不老長寿ということは、そのまま人間としての満足にはならないのです。

やはりそこに生きていることの喜びを伴うことが大切になるのです。

そしてその喜びは決して孤独なところにあるのではなく、必ず「共に」というところにあります。

自分の周りの人が信じられ、本当に語り合える人がいるときに、人間はどんな苦しみにも耐えられるし、本当に心から喜ぶことが出来ます。

一方、どんなに嬉しいことがあっても、それを共に喜んでくれる人がいなければ、その嬉しさも半減してしまうものです。

老いるということで、身体面ではそれまで当たり前であったことが当たり前ではなくなることも多々ありますが、その一方、多くの体験を通してそれまでに気付き得なかった世界に目が開かれることも多々あるものです。

年齢を重ね「老い」ることを「朽ち果てて行く悲しみ」として嘆くか、「毎日新しい自分に生まれる喜び」として味わって行くか、あなたはどちらを選びますか?