「シラス台地に受け継がれる鹿児島の心と暮らし」(上旬) 香りを提供する

======ご講師紹介======

田島 健夫さん(雅叙苑観光有限会社代表取締役)

☆ 演題 「シラス台地に受け継がれる鹿児島の心と暮らし」

昭和四十三年東洋大学経済学部卒業後、鹿児島信用金庫に入行されます。昭和四十五年に二十五歳で行員を辞され、雅叙苑観光有限会社を創業、平成六年には「天空の森」の開発に着手されます。平成十六年に社団法人大霧島観光協会会長、翌十七年には社団法人鹿児島県観光連盟理事長に就任されました。

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雅叙苑観光有限会社代表取締役 田島健夫 さん

 母が湯治場をしていたこともあり、当時の霧島は新婚旅行ブームで、そういう方々をお迎えしたいということが僕の雅叙苑の始まりです。

お金がなかったので、借金をして始めたんですが、当初僕は銀行員をしていました。

実はソロバンが出来ていたら、銀行を辞めていなかったんです。

 昭和二十年の生まれで、受験も就職試験も勉強したことがないんですよ。

何もしなくてもすんなり行けたんですね。

ところが、いざ銀行に就職してみると、現実は厳しいですね。

銀行は足し算・引き算ばかりじゃなくて、掛け算も割り算もあるんですよ。

二桁三桁じゃなくて四桁から上ばかり。

計算に時間がかかってしょうがない。

 支店長によく叱られました。

後輩にもソロバンができないことを非難されましてね。

腹が立って次の日に辞表を書きました。

そのときの支店長の対応が分かれ目でしたね。

ちょっと待てと言われれば何とか銀行に残ったかもしれない。

ところが、ひと言「おやっとさぁ(お疲れさま)」となりました。

 いざ雅叙苑を開いてみたらお客さまが来なくて、どうしようもなくなり母に

「助けてもらえないかね。」

と聞いたら、

「手を合わせてみなさい。

温かいでしょ。

生きているということでしょ。

努力してごらん。

どうすればお客さまが来るかを考えなさい。

あなたにはそういう能力があるんだから。」と。

それで、よく考えてみたら、母が教えてくれたのは

「手を合わせて自分がどうなりたいのかを毎日思いなさい。

次の日になって忘れたら、また元に戻るから」。

本当にそういうもんですな。

 そのときに僕は

「日本一に絶対なってやるんだ」

と決意しました。

父が死んで母はとても難義しましたからね。

そういう姿を見て、どうにかしないといけないと思いました。

そして母から

「あなたの旅館に来なければならない理由があるはずだ」

と、そういうことを教わった訳ですね。

出会いは大事だなと思いました。

本当に一生懸命になるとわかるもんです。

 お客さまにどうしたら気持ちが伝わるんだろう。

当時、みんなふるさとを出て街に働きに行った。

大人になって少しお金がたまった時、たぶんふるさとが恋しくなるんじゃないか。

それで茅葺(かやぶ)きの家を作ることになって行くわけです。

 それでもお客さまが来ない。

でもまだ足りない。

みんなが家を捨てるころ、僕は茅葺きの家を作った。

ふるさとってどんなもんだっけ。

香りがある。

草を刈ったときにいいにおいがしますよね。

香りをお客さまに提供するにはどうすればいいか。

そうだ、竹のお箸を作ればいい。

竹のお皿を作ればいい。

 街では陶器のいいお皿を使ったりするかもしれないけど、竹の香りをかぐとき、ふるさとを思い出すでしょう。

僕は

「風よ、伝えて下さい。

雲よ、伝えて下さい。

ふるさとには何も変わりのないものがあることを」

という思いでやっています。