鹿児島女子短期大学学長 石田忠彦さん
意識というものを生命の連続として考えて、それが途切れた人間というのはいったい何だろうか。
ちゃかすような意味でいえば、ただ気を失っていただけということになりますけど、漱石にとっては大事件なんです。
そのあと、大正まで意識について考えを深めていきます。
小説はほぼそれが主題になり、人間にとって意識とは何かということの追求になっていくんです。
漱石は大正五年に『明暗』という小説を書き始めていますが、そのちょっと前から「即天去私(そくてんきょし)」これも仏教的な考え方でみられていますが、色紙とかによくその言葉を書いています。
最後は『明暗』を途中まで連載して、胃潰瘍で亡くなるんですが、まだ大正五年頃は仏教の影響が非常に強いので、お弟子さんたちはこの「即天去私」ということを盛んに言っていました。
超越的な大きな力に従って、私という個人的なもの、これはエゴイズムでもいいですし、迷いでもいいんですが、そういうものをなくす。
いわゆる解脱ですね。
そういう形で漱石は悟ったかどうかまでは言っていませんけど、非常に落ち着いて死んでいったというふうにお弟子さんたちは考えていたんです。
ところが、しばらくして漱石の最期を看取った医者の証言とかが出てきたんです。
それによると「痛い、痛い、今死んじゃ困る」と言って死んだというんです。
ちっとも悟っていなかったんです。
でも、人間というのはそういうもので、だからといって漱石が駄目だとは全然考えません。
漱石は「即天去私」の境地で眠るがごとく死んだのではなくて、「痛い、痛い」と言って死んだんです。
なぜ「今死んじゃ困る」だったのかというと、第二の文学論を書きたいという構想があったんです。
とりあえずは『明暗』という小説は途中までで未完です。
このようにいっぱい計画があったので「今死んじゃ困る」だったんでしょう。
漱石は、ヨーロッパで科学的なものを勉強してきたせいもあって、意識の深層みたいなものをどんどん考えていくんです。
しかしそれを考えていく場合に、やはり仏教的な流れというのは、伝統として漱石の中には明らかにあるわけです。
二十世紀になってから、人のいのちというものを意識で考えまして、その科学が進んでいきます。
それと平行して宗教も哲学も進んでいきました。
文学者たちもそういう形で小説を書くんですけど、今後これらの問題はどう展開していくかは、私も予想がつきません。