なぜいま念仏か(1)7月(中期)

この場合重要なことは、その根本原因を堂利敵に見つめることであって、決して悪魔や悪霊といった神のタタリとするような、迷信的見方をしてはならないことはいうまでもありません。

ところで、いまここでの問題は、現代におけるこの当然の見方を、八百年前の親鸞聖人の時代にあてはめるとどうなるかということです。

この時代においては、今の私たちがもっているように科学的な見方はまだ成り立っていません。

そのような時代を生きられた親鸞聖人の思想に迷信的要素がないことに、私たちは着目する必要があります。

なぜ、科学的な見方の成立していなかった時代であるにもかかわらず、親鸞聖人の思想には迷信的要素がないのでしょうか。

ひるがえって、現代の世相に目をうつしてみますと、まさに現代は「科学の時代」なのですが、迷信的信仰が満ちあふれています。

したがって、現代は科学の時代であると同時に迷信の時代であるともいえます。

このようにみますと、仏教のいう「因果の道理」とは、必ずしも科学的な見方とは重なっていません。

つまり、科学的な原因と結果の法則を意味しているのではないのだといえます。

科学的な見方が発達している今日、迷信的要素の多い信仰が人々の心を魅了し、一方科学的な見方がまだ存在しなかった時代を生きられた親鸞聖人の思想にまったく迷信的要素が見られない、このことをどのように説明付ければ良いのか、しばらく考えてみたいと思います。