「穢土と浄土」(上旬)

======ご講師紹介======

青木敬介さん(播磨灘を守る会代表世話人)

☆演題 「穢土と浄土」

昭和7年、兵庫県生まれ。

昭和31年龍谷大学文学部を卒業。

昭和46年に荒れた海と自然環境の浄化と回復を願い、漁師や労働者と「播磨灘を守る会」を結成。

磯浜の復元、海岸清掃やゴミのリサイクルなどの活動を展開されました。

現在は播磨灘に限らず、環境破壊の危機にさらされる土地を守る活動をしておられます。

浄土真宗本願寺派西念寺住職。

著書に詩集『播磨灘』、随筆集『大痴魚記』、その他紀行や論集など多数。

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 生き物の中で嘘をつくのは人間だけ

煩悩という言葉を聞かれたことがあろうかと思います。

お釈迦さまは三毒という言葉でこの煩悩を三つに分類しておられます。

まず「貪欲(とんよく)」。

これは、限りのない欲望です。

あってもあってもまだ欲しい。

満足することを知らないということです。

その欲望を満足させるために、怒りや憎しみを抱いて人を傷つけ殺す。

こういう世界を「瞋恚(しんに)」といいます。

怒りと憎しみですね。

それから、もうひとつが「愚痴(ぐち)」です。

愚痴という字は、どちらも愚かという意味の文字です。

つまり、愚かで恥ずかしいことを恥ずかしいと思わない。

そして自分の利益を増すために、自分だけが儲けるために平気で嘘をつく、これを愚痴といいます。

お釈迦さまは、ご丁寧に欲望に振り回されている人たちのことを「餓鬼(がき)」と呼んでいらっしゃいます。

死んでから先のことではなく、今現在欲望に目がくらんで、うろうろとしているのを餓鬼というんです。

それから、怒りと憎しみに狂って、平気で人を殺したり傷つけたりする。

これを「修羅(しゅら)」といいます。

そして、愚かで恥ずかしいことを恥ずかしく思わず、平気で嘘をつく、これを「畜生(ちくしょう)」といいます。

みなさん、お孫さんやお子さんのことを「このガキ」と叱ったことはありませんか。

実は、それは逆なんですよ。

大人と子どもとどっちが欲が深いでしょうか。

子どもの欲なんて、たかが知れています。

大人の方が欲の塊(かたまり)ですよ。

本当の餓鬼は、大人の方なのです。

それから、犬や猫、牛や馬のことを畜生といいますけど、それも逆ではないでしょうか。

彼らは確かに、火の使い方も知らないし、言葉も知りません。

しかし、決して嘘をついたりはしません。

自宅でペットを駆っている方、ペットが嘘をつきますか。

嘘をつくのは人間の方ですよ。

二世紀後半から三世紀にかけてのインダス川の中流域には、当時その地で活躍された龍樹菩薩(りゅうじゅぼさつ)という方がおられました。

この方は、縁起という考え方をきちんと定義付けられた方ですが、同時に世界の生き物の中でも、嘘をついたりするのは人間だけではないかと指摘して下さっています。

残念なことに、私たちはものの見事に世の中の真実を語って下さっている教え耳を傾けようとはしません。

そういう人間が作り出している世界を穢土(えど)と呼ぶのです。

穢土とは、汚れた世界ということです。

その穢土を百八十度ひっくり返した世界が、浄土と呼ばれる世界です。

浄土とはどのような世界かといいますと、お互いに分かち合える世界です。

一緒に頑張って生きていこう、助け合って生きていこうという世界、何も言わなくても信頼できる世界が浄土なのです。

つまり、浄土とは悟りの世界なのです。

悟りというのは、世の中の本当のことをわからせてもらうということです。

真実を見る目が開かれた方を仏さまといいます。

仏とは、亡くなられた方のことではなく、悟りを開いた方をいうのです。

浄土は、そういう仏さま方がいらっしゃる世界です。

私たちがその悟りの目を開かせていただく世界、仏さまにならせていただく世界。

本当のことが通っていく世界。

そして、自由自在に迷いの世界に還ってきて、人々にお念仏を勧めることのできる世界。

それがお浄土であり、お釈迦さまの理想です。

龍樹菩薩や親鸞聖人もそういう世界を歩まれたのです。