「利益」は、利得、もうけといった意味で使われています。
宗教においても、人の祈りに応じて利益をもたらしてくれるのが、よい宗教であると考える人が多く見られます。
人の祈りにも、集団における共同祈願と個人的な祈りがあるといわれます。
例えば、雨乞い、日乞い、疫病送りとか、息災延命、課内安全、商売繁昌など、多種多様の祈りがあります。
人は、現実の生活苦からの離脱を求めて祈り続け、その恵みとして与えられた恩恵を、ご利益といっています。
けれども、利益ということには、自分が利益を得るということだけでなく、他の人を益するということ、恵みを与えるということがなければなりません。
仏教では、仏の教えに生きて得られた恩恵を、自利・利他の益として明らかにしています。
自らの利益を得ることは同時に、他の人々を利益することでなければなりません。
それが菩薩の精神であり、実践なのです。
仏の教えによって得られる利益とは、金銭上や物質上の利益ではありません。
自らのいのちの尊さに目覚めて生きる私となることが出来るということです。
教えのもつ最も深い意味での利益は、一人ひとりが、仏の本願に喚び覚まされて、最も尊いものとして自己を生きる自身を獲得することです。
そこに自ら人々を利益して、ともに生きるという、本当の共生の生が開かれていくことと思われます。