「機嫌(きげん)」をうかがう、取る、そこなうなど、日頃何気なく用いていますが、この言葉も仏教語の
「譏嫌」
に由来し、それが転訛(てんか)したものです。
「譏」はそしること、「嫌」は疑いきらうことを表します。
したがって、他人のそしり嫌うこと、世の人たちが嫌悪することを意味していました。
仏教の戒律に
「息世譏嫌戒(世の譏嫌を息むるの戒)」
という戒めがあります。
これは、行為そのものは罪悪ではありませんが、世の人たちからそしり嫌われないために制定されたものです。
この「譏嫌」が、「機嫌」と転訛して、意味・内容ともに転じた結果、不愉快なこと、時期・都合・起居・様子・安否・気分などと用いられるようになり、さらに
「機嫌が良い」
などと
「気持ちのよいこと」
の意味にまでなりました。