「大事な品物」
「大事な用件」
「大事な人」
と、日常口にしたりします。
「大事」、
または
「一大事」
とは、もとは、さまざまの仏が人々を救済するために世に出現されることをいいます。
私たちの立場からは、
出現した仏に出遇うこと、
仏道に志すこと、
修行して悟りを開くこと、
さらには自らの生き方を発見すること、
何が自分にとって一番大切なことであるかを見いだすこと、
自分の一章をそれにかけて良いということに出遇うこと、
これが本来の大事です。
また、一方では生命にかかわることも大事とよばれました。
軍記物語などには
「大事の手」
(生命にかかわる手傷)と出てくるのがそれです。
時代劇などの定まった表現の一つに
「御家の一大事」
があります。
これは、武士にとって
「主家が存続するか否か」
という意味です。
蓮如上人は、安心して生きるために真実の法に出遇うこと、そして自身のいのちの帰って行く世界を見定めることが
「一大事」
であると説かれました。
自分にとって、何よりも重く大切なこと、自らの心身と引き換えにできることを仏教では
「大事」
とよびます。