一般的には、二人以上の者が、運不運にかかわらず行動を共有することの意味で使われますが、現在では何か悪事をはたらいて、その罰を共に受けるような時に使われることが多いようです。
一蓮托生とは、阿弥陀仏の極楽浄土で同じ蓮華の上に生まれることを指しています。
同じ信心で結ばれている人たち、夫婦、友人などが、来世に極楽浄土で一生に暮らしたいと願う時、また、この世で結ばれない恋人同士が、来世こそ添い遂げようと願う時などに使われる言葉のようです。
ところが、いつの間にか、善悪に関係なく、行動を共にする意味に用いられるようになってしまいました。