「いのちの真実」(上旬)生きていることの方が恐ろしい

======ご講師紹介======

 有國智光さん(長久寺住職)

☆ 演題「いのちの真実」

ご講師は、山口県長久寺住職の有國智光さんです。

昭和32年、山口県生まれ。

山口県立徳山高校を卒業し、東京大学文学部、同大学院人文科学研究科修士・印度哲学専攻を修了。

平成3年、浄土真宗本願寺派長久寺住職を継職。

学校の研修会や一般の講演会などの講師として活動されますが、平成18年12月、当時中学3年生だった次男の有國遊雲さんを小児癌で亡くされました。

その後「生」と「死」を深く考察し『遊雲さんと父さん−小児がんを生きたわが子との対話』を著されました。

==================

仏教には四苦八苦という言葉があります。

四苦とは、生・老・病・死の四つの苦しみですね。

「老苦」

は老いの苦しみ、

「病苦」

は病む苦しみです。

死んでいく苦しみの

「死苦」

については、はっきりしていて混乱する点はないでしょうか。

しかし、最初の

「生苦」、

これは実は生きる苦しみではなく、生まれる苦しみのことなんです。

生きる苦しみならまだ分かる気がするでしょう。

しかし、生まれる苦しみと言われたのでは、どこかピンときにくいんじゃないでしょうか。

実際、私自身がそうでした。

ですが、年を重ねてくる中で、最近はなるほどと頷けるようになってまいりました。

ですので、そのあたりからお話を進めさせていただこうかと思います。

私はおっちょこちょいで、忘れ物や失敗したことなどはたくさんあります。

しんし、実は私たちは皆、一人残らず取り返しのつかない大失敗をしているのです。

その失敗とは

「何の準備もないまま生まれてきてしまっている」

ということなんです。

生まれてきた以上、生物は必ず死にます。

そして、死ぬというご縁が整うまでは生き続けなければなりません。

生きるということは刻一刻と病み、老いていくことです。

あるいは、そのまま他のいのちを頂いていくことだと言えるでしょう。

出発まで何野準備も出来ず、気がついたら生まれてしまっていた。

それが生まれる苦しみであろうかと、今は受け止めさせていただく次第です。

また、最近では話をする中で

「人は必ず死ぬんですよ」

という言い方では、受け付けてもらえない人も増えています。

理屈では確かに死亡率は100%ですし、その通りだとは思われるんですが、結局自分がその立場に立たされるまでは、自分とは無関係に思っていらっしゃる方が多いように感じますね。

ですから、必ず死んでいくんですよという伝え方ではなく

「残念なことに、気がついてみたら、何の準備もないところで生まれてきてしまっているんですよ」

という、生まれてきた失敗を投げかける方が、みなさんには自分のこととして受け止めやすいように思います。

さて、その生まれてきたという大きな失敗、というよりむしろ大きな謎ですね。

これをどのように引き受けていくかを突き詰めていくことが、

「いのちの真実」

というテーマにとって、一番重要なことになってくるのではないかと思います。

ここでは、仏教の立場から話を続けさせていただきましょう。

ここではあえて、

「死」

の側から見つめさせていただきたいと思います。

死と言うと嫌がられることが多いですが、それはなぜでしょうか。

「死んだらどうなるのか」

「なぜ死ぬのか」

という問いは、目を背けているときは嫌がられますが、恐れずにきちんと見つめてみれば、さほどのことはないんです。

実は、生きているということの方が恐ろしいことなんです。