6年程前になりますが、このような事がありました。
その日は日差しの強い、夏の暑い日でした。
景色の美しい海岸線を一人、車で走っていました。
その道は路線バスはおろか、行き交う車もほとんどなく、人も民家も見当たらない道が、十数キロ続いています。
しばらく景色を楽しみながら車を走らせていると、段ボール紙に私の住んでいる所の地名が書いてあり、それを持った私より若く、体も大きく、真黒に日焼けしたヒッチハイクの男性が前方に立っていました。
すぐに理解はしましたが、私も一人ですし昼間ですがひと気も無い所でしたので、
「ちょっと怖いなー」
という気持ちがはたらいて、思わず通り過ぎてしまいました。
しかしほとんど車も通りませんし、
「このまま通り過ぎて行ったら、この暑いのに彼は困るだろうなー」
と思いまして、50メートルぐらい先で止まりました。
すると彼が後ろから駆けて来まして、段ボール紙に書かれた私の住んでいる地名を見せて、
「どうかここまで乗せて下さい。
そこまで行きましたら路線バスがありますので、バスを乗り継いでなんとか夜までには鹿児島市内まで行きたいんです。」
とのことでした。
「私もちょうどそこまで帰るところですから、いいですよ」
と答えて、その人を車に乗せました。
彼は東京在住の郵便局員さんで、まとまった休みがとれると全国をあちらこちらと一人旅をしているそうです。
私の住んでいる町に着きますと、バスの時間までしばらくありましたので、家に招いて昼ご飯を御馳走しました。
その日は私と祖母だけでしたが、祖母とそうめんを湯がいたり、おにぎりを握ったりして彼に食べさせました。
朝から何も食べていなかったらしくて、気持ちいいほどにおいしそうにたくさん食べてくれました。
バスの時刻が近づきましたので、バス停まで彼を送って行きました。
バスが近づいて来た時、彼が私の手をギュッと握り、
「この度は本当にありがとうございました。
このご恩をあなたに直接お返しする事は難しいですが、また別な場所で、他の方々に必ずお返ししていきたいと思います。」
と、言葉をかけてくれました。
その事を家に帰り祖母に伝えると、
「それはいい言葉を残してくれたね。
旅慣れた人なんだろうね」
と、祖母も喜んでいました。
後に知った事ですが、誰かから受けた恩を直接その人に返すのではなく別の人に送り、そしてその送られた人がさらに別の人に送る。
そうして恩が世の中をぐるぐる回って行くということを
「恩送り」
と言うそうです。
先日亡くなられた作家の井上ひさしさんが、江戸時代には普通にこの
「恩送り」
と言う考え方があったと、紹介しておられます。
恩を送るのですから、その行為はその時、私から離れていく事になります。
これは、仏教でいうところの
「布施」
と同じで、執着から離れていくという事です。
お返しや見返りを求めたり、
「せっかくしてあげたのに…」
では、恩送りではなくただの
「恩着せ」
になります。
「布施」、
「恩送り」。
私たちにとって、大切にしていきたい言葉の一つではないでしょうか。