自分の執着を引っ込めるというのは難しいことです。
自我・執着というのは、思念や価値観、虚栄心、情念、あらゆるものから出来ていますが、その中で中心の核として成り立たせているのが、長年かけて培ってきた人生観です。
人間関係に亀裂が入り、溝が大きくなりやすいのは、この人生観の衝突が原因になっている場合が多い訳ですね。
ここで、あるご家族を例にとってみましょう。
そこのご主人は勉強家で、現実的な理論を重視し、効率のよい生活を目指していく人です。
この方は、奥さんと娘さんの買い物や交友関係などにも細かいアドバイスをします。
奥さんは、とても助かると言っていましたが、その内に細かい口出しにストレスを感じるようになったと言います。
最初は優しかったご主人も、奥さんと子どもさんが助言を受け入れなかったときは、
「なんでおれの親切なアドバイスを聞き入れないのか」
と言うようになったそうです。
このようなことを言うとき、実は自分のことも相手のことも見失いかた状態になっているのではないでしょうか。
人に親切にして、自分の人生観を説くとき、あるいは自分の話が絶対的に正しいことを前提として話したときは、たいていどこかに見落としがあるということをつくづく感じる訳です。
世間では、礼儀作法がよく言葉遣いのきれいな人を
「品のよい人」
と言います。
しかし、仏教、つまり仏さまにとっては、そういう表面的なことは問題ではなく、自分の主張の引き際を心得た人、そして相手の気持ちを察して人と接していくことを品がよいと言うようです。
自分が一方的な話をし続けるときは、たいてい相手に圧迫感を与えている一方通行の状態です。
相手の気持ちを察するということが、どこかでおろそかになっているんじゃないかと思います。
それが、人間関係を築く上で障害になるのです。
では、何が欠けているのかと言いますと、自分の人生観に基づいた話をしながらも、
「あなたはどう思う」
という問いかけを入れることだと思うんですね。
自分の思いが強ければ強いほど、この問いかけを忘れがちになってしまいます。
しかし、これによって、相手に感情を整理する心の余裕を与え、信頼関係が築けてくるのではないかと思うんです。
そこから会話が充実して、話の幅が広がり、自分とは違った人とも話がかみ合う。
さらに、お互いの長所を吸収し合える。
すなわち、よりよい人間関係を築いていくことになるんだと思います。