最近誰かに笑いかけられて嬉しいと感じた事がありましたか?あるいは誰かに笑いかけてみましたか?
暗いニュースや出来事が続き、心の底から『笑う』ということが少なくなっているような気がします。
和顔(わげん)は、
『穏やかな、にこやかな笑顔』
という意味があります。
あなたも『和顔愛語(わげんあいご)』という言葉で耳にしたことがあるのではないでしょうか?
これは浄土真宗の三部経の一つ、大経と呼ばれる『仏説無量寿経』にでてきます。
穏やかな、にこやかな笑顔で優しいおもいやりのある言葉をもって、人に接することを心がけていきましょう、という意味をもっています。
また、この言葉は
『雑宝蔵経(ぞうほうぞうきょう)』
というお経に説かれる
『無財の七施』
にも言葉がでてきます。
無財の七施とは、人に施す財物やお金がなくても、施しができますよということを伝えているもので、その中に和顔施(わげんせ)とあります。
つまり、穏やかでにこやかな笑顔で、人に接することが他の人への施しとなっているのですよ、ということを表しているのです。
あなたは、赤ちゃんに接する両親や祖父母の方の姿をご覧になったことはありませんか?
腹を立てて、怒った顔で赤ちゃんに語りかけているでしょうか?
あるいは、涙を流しながら悲しそうな顔で語りかけているでしょうか?
私は、正直そんなふうに接する赤ちゃんの両親や祖父母の方をみたことがありません。
共通して、みんな笑いながら嬉しそうな表情で語りかけていませんか?
日常生活・社会生活の中での赤ちゃんは、私たちに何か施しができるものをもっているか?というと、全く持っていないと言わざるを得ません。
どちらかというと私たちに対して役に立つ何かをしてくれるどころか、面倒をみたり、常に育児をしていかないといけないという部分からみても私たちに施しを受けるばかりと言えます。
では、それなのに私たちはなぜ赤ちゃんに嬉しそうに語りかけるのでしょうか?
私たち自身がその赤ちゃんの和顔(わげん)に施しをうけているに他ならないのではないでしょうか?
赤ちゃんのその姿に大変癒されているのではないでしょうか?
育てているつもりが、実は育てられていた、赤ちゃんの和顔に助けられていた、と言えますね。
私たちはこのように、共に笑いあい、語り合う中でみえないところで助け合い、支え合っていることに気づかされる気が致します。
ともに微笑みあいながら、よりそいながら、優しい気持ちで『いのち』を支え合い育てあっていきたいものですね。
さぁ、今日も一緒に笑いあっていきましょう!