「和顔(わげん)」
とは
「和やかで穏やかな顔つき」
を意味する言葉として、中国では仏教が伝来する以前から使われていたそうです。
また、一般的にこの言葉は
「和顔愛語(わげんあいご)」
という四字熟語でよく知られています。
この言葉が広く知られるようになったのは、魏(ぎ)の康僧鎧(こうそうがい)訳と伝えられる『無量寿経』の教えが世間に広まったことによると言われています。
経典の中で
「生きとし生けるものすべてを救おう」
誓われた法蔵菩薩(阿弥陀仏が菩薩の位にあった時の名前)のありようを明らかにする箇所に、嘘やへつらいの心がなく
「和顔愛語」
し、相手の心を先んじて知り、それに応える
とありますが、これが世間に広まったもとと言えます。
なお、この
「愛語」
という言葉は
「慈愛のこもった言葉」
という解釈がなされていますが、もともとは、むしろ
「語り」
それ自体のはたらきに重点が置かれ、相手が聞いて嬉しくなるような、耳に心地よい言葉とその語り口を意味していたようです。
このことから、
『無量寿経』の
「和顔愛語」
の意味は、
「和やかな顔で、愛らしく語る」
と理解するのが妥当かと思われます。
ところで、興味深いことに、現存する諸本に関する限り『無量寿経』のサンスクリット語の原典には、
「和顔」
に相当する言葉は全く見出せないのだそうです。
そのため、おそらく
「和顔」
という言葉は漢訳者が補って付け加えたものと推測されています。
ここに
「漢訳の妙」
というべきものが示されているのですが、
「愛語」に
「和顔」
という言葉が付け加えられたのは、この熟語を通じて身近に仏・菩薩の存在を感じると共に、また自らがそのようにあろうと努める、仏法に生きる人々の姿が背景にあったように窺えます。
また
「和顔」を物語る
「微笑み」という言葉は、
「にっこりする」
ということですが、仏教ではこの
「和顔」と
「愛語」を含む
「無財の七施」
という布施行が説かれています。
布施には
財施(ざいせ),
法施(ほうせ),
無畏施(むいせ)
という3つの行があるといわれていますが、施すべき財・説くべき教え・恐れを取り除く力がなくても、誰もがいつでも容易にできる布施の行として
「無財の七施」
が説かれているのです。
その中の一つが
「和顔悦色施(わげんえっしきせ)」
で、優しいほほえみをたたえた笑顔で人に接することをいいます。
これは、常に微笑をたたえた穏やかな顔が人に喜びを与え、お互いの人間関係を良い方向に導くことが誰にでもできる施しであることを明らかにしています。
考えてみますと、赤ちゃんは周囲の人に世話をしてもらうばかりで、何も役に立つことなど出来ないように思われますが、その微笑みは人々の心を癒し和ませ、いつの間にか笑顔にしてくれます。
誰かに
「和顔」
の施しを頂いたら、自分もまた周囲の誰かに
「和顔」
の施しをしたいものです。
そのようなあり方が、
「サンガ」
と呼ばれる仏法者の集まりの根底を貫く
「和合」
の心を生み出していくように思われます。