「本願海流」(上旬) 独りぼっちで…

======ご講師紹介======

大峯 顕さん(大阪大学名誉教授)

☆ 演題 「本願海流」

講師は、大峯 顕(おおみね あきら)さんです。

1929年7月1日 生まれ。

哲学者、大阪大学名誉教授、浄土真宗僧侶(専立寺前住職)、俳人。

俳号大峯あきら。

俳誌「晨」を主宰しておられます。

専攻は宗教哲学。

中期フィヒテ研究・西田幾多郎研究で知られます。

文学博士(京都大学)(1976年)。

毎日俳壇選者。

2002年、句集「宇宙塵」で第42回俳人協会賞受賞。

2011年、句集「群生海」で第52回毎日芸術賞、第26回詩歌文学館賞受賞。

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私たちにとって、死というのは永遠の謎です。

なぜかというと、今地球上に生きている人間は、誰一人として一度も死を経験したことがないからです。

臨死とか臨死体験など、死ぬ寸前のことは経験したかもしれませんが、これはまだ生きている間の話です。

ですから、死が何であるかということは、死の苦しみとか不安とかを超越されたお釈迦さまのお言葉を聞かないと分からないんです。

凡夫同士が、ああだこうだと言っても、結局死が何であるかは分からないんです。

 もともと人間は、独りぼっちで生まれてきて、独りぼっちで死んでいくんです。

大勢友だちがいるから賑やかに生きていると言っても、それは幻想にすぎません。

そして、独りぼっちのもの同士が不思議に出会っていくんです。

二つの流れ星が交差したようなものですね。

さっと一瞬交差して、どっかへ行っちゃう。

ところが、お念仏の世界では

「別れない」

という不思議なことが、阿弥陀さまの力で起こるんです。

お念仏がなかったら、また会えませんよ。

お念仏がなかったら、夫婦といえども、親子といえども、死んでしまったらどこへ行ったのか分からない。

では、どこでまた会えるのかと言うと、阿弥陀さまの国・お浄土です。

お浄土というのは

「永遠のいのちの世界」

ということです。

 生死(しょうじ)を超えた方というのは、目が覚めた方です。

今の私たちというのは、目が覚めないで、例えたら、お酒に酔っぱらって、ああだこうだ言って生きているようなものなんです。

調子がいいときには

「死んだら死んだ時や」

と言い、

「あと、三カ月のいのちです」

と言われたら、途端に何がなんだか分からんようになってしまう。

そういう存在を凡夫というんですよ。

そして、このような存在を超えた方がお釈迦さまなんです。

 では、お釈迦さまはなぜ仏になられたかというと、それは個人的な意見を捨てられたからです。

「私はこう思う」

というは、みんな妄想です。

仏法の真理は無我です。

お釈迦さまの言葉は

「私はこう思う」

じゃないんです。

この我を超えた、自己中心的な発想を超えたお釈迦さまのお心の中に浮かんできたのが、阿弥陀さまのご本願ということなんです。

 ニュートンは、物理学的宇宙の法則を発見しました。

それに対してお釈迦さまは、精神的宇宙というか、物質のことを考える人間を含めた大きな世界の法則を発見されました。

これが阿弥陀さまのご本願です。

つまり、

「南無阿弥陀仏によってお浄土に生まれていく」

ということは宇宙の法則なんです。

「お前を必ず救う。

救うことが出来なかったら、私は仏にならない」

と誓われた阿弥陀さまのお言葉を信じたら、自然に私たちはこの法則にしたがって仏になる訳です。

あるいは、阿弥陀さまの本願力に乗る訳です。

これを親鸞聖人のお言葉で言えば、本願海ということになります。

海はじっとしていません。

絶えず流れています。

それで私は、本願海流といっています。