「子どもに語るいのち」(上旬) 自分らしい最後

======ご講師紹介======

種村エイ子 さん

☆ 演題「子どもに語るいのち」

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 私の場合は、退院した後二週間に一度抗ガン剤をもらうために病院の外来に通ってたんですけど、その時に

「実はあなたのご生存率は20%です」

って言われたんです。

その時はものすごく辛かったんですね。

 なぜかというと、周りに誰も仲間がいない、どうしようもない孤独感。

周りに誰も仲間がいない、どうしようもない孤独感。

周りには患者はたくさんいるけれどもどうしても孤独なんですね。

周りの人とは心が通じ合ってない。

看護師さんだっているのに、外来の看護師さんっていうのは患者さん一人ひとりと向き合うような時間は全くありません。

次から次に患者さんを呼び入れないといけないですから、

「あの人落ち込んでるな」

「あの人辛そうだな」

「なんか声かけてあげたいな」

と思っても、そういうことは許されてないのです。

それで、病院の中にそういうことを受け止めてくれる人が全然いない、ということをその時にイヤというほど感じました。

 私はそういう絶望感を味わった後、情報をもとめて、いろんな所をさまよい歩きました。

その結果いろんな出会いがありました。

私の場合は、図書館の仕事をしていましたので、鹿児島市立図書館の仕事をしていましたので、鹿児島市立図書館にせっせと通いました。

でも自分がガンだっていうことを周りに知られるのは嫌だと思ってたので、ガンの本を借りることがなかったんですね。

 でもバラバラっとのぞいた本の中で、ずいぶんいろんな情報を得ました。

なかでも、たまたま手に取った雑誌に、鹿児島中央駅の近くで堂園メディカルハウスというちょっと変った診療所をやってらっしゃる、堂園晴彦先生が書かれたエッセイに出会ったんです。

 まだ当時はそのような診療所を作ってらっしゃらなくて、まるでなんか普通のお家みたいな、ほんとにこれが病院だろうかっていう感じの所だったんです。

火鉢が置いてあって、火鉢を囲んで患者さん同士がおしゃべりしたような所でした。

 そういう場所で患者仲間に出会って、そのことで私はもう一度

「ああ、そうか。

生と死っていうのは裏表なんだ」

という、それはつまり私がずっと避けてきた死を考えるということが、実は自分の今生きていることを考えるっていうことなのだっていうことに気がついたんですね。

 堂園晴彦先生は

「人間は生きたように死んでいく」

というのをいつも言ってらっしゃるんです。

その時は何となくそういう言葉に反発を感じていたんです。

ですが、そのホスピスで自分らしい最後を貫いていかれた方々に出会うことによって、やっぱり自分自身のいのち、自分自身の人生というのは、自分で責任を持って、自分で豊かにしていかなきゃいけないんだって、だんだん思うようになったんですね。