「うたのちから」−幸せになるために人は生れてきた−(中旬)心配するな。この島のものはみんなの物だ

私の息子が沖縄に家を作ってからは、私もよく沖縄に行くようになりました。

近所の人と会うと、いろんな話を聞かせてくれます。

すると、観光気分で行った時の沖縄と、お世話になり始めてからの沖縄でずいぶん違うことに気がつきます。

毎日帽子をかぶって、浜を掃除に行くおじいさんがいます。

そのおじいさんは、私の顔を見ると

「また来たかね。野菜でも取りに来なさいね」

と言って、野菜をいっぱいくれます。

沖縄は、人の優しさといのちに触れることが出来る所だと思います。

また、沖縄には島の人たちが育てた大事な言葉があります。

「自然を大切にしましょう」と

「2度と戦争がない時代にしましょう」

そしてもう1つ

「障害者の人が生れたら、それは神さまの子ども」

です。

そんな言葉が大切に受け継がれています。

沖縄で救われた人は、いっぱいいます。

私もそうですし、息子もそうです。

人間不信に陥ったときに沖縄に行って、沖縄の人間と触れ合って、もう一度人間として生きる力をもらいました。

関西のある小学校に、いろんな出来事が重なり、疲れ切って教壇を去った先生がいました。

心を癒しに沖縄の旅に出て、どうせならと、本島をはずれた小さな島に行き、たった一人で夕暮れを散歩していました。

考えたかったんだろうと思います。

その隣にいつの間にかおばちゃんがいました。

そのおばちゃんが

「今晩食う物はあるか」

といいました。

沖縄ならではのことです。

若者は突然聞かれて、

「いお、そんなことは全く考えていませんでした」

と答えると、おばあちゃんはすぐそばの畑に入って行って、いろんな野菜をくれました。

青年が

「これはおばあちゃんの畑だったんですか。すいません、こんなに頂いて」

と言ったら、

「これはうちの畑じゃねぇ」

と言いました。

「そんな人の畑から盗んだ物を頂く訳にはいきません」

というと、おばあちゃんは

「心配するな。この島の物はみんなの物だ。今頃うちの畑からも誰かが何かを持って行ってるさ」

と言いました。

なんと素敵な島なんだろう。

こんな考え方の人たちが世界中にいれば、戦争もなくなるし、障害者だろうが何だろうが、みんなが活き活きと生きられるのに…。

そんなことがあって、その若者は小説家になりました。

今は亡き作家の灰谷健次郎さんのことです。