「死を食べる」(下旬)パックの肉や魚の切り身も死体の一部

自然界だけでなく、東京・新宿・歌舞伎町も観察しています。

歌舞伎町は、夜中の2時でも昼間みたいに明るいんです。

その明かりの下では、人間だけじゃなく、動物さえもがこんな所を歩いているんです。

例えばハト。

ハトは夜寝て昼間活動する動物なのに、町が明るいから夜中に歩いているんです。

今、そういうおかしな状況が東京に生まれていて、ここに日本の人口の一割がひしめいているんです。

その結果、周りを見ればゴミだらけ。

ゴミの中には、まだ食べ残しがいっぱい入っています。

食べ残しの肉も魚も死体の一部です。

切り身だって、パックにしてしまえば死体だって分かりません。

切り刻んであるだけで、死体じゃなくなるような気がしますが、そうじゃない。

食べ残せば、ゴミ袋に入るんです。

ドブネズミなんて、当たり前のようにいます。

みんなこのゴミ袋に穴を開けて鍋の残りからスープに使った肉なんかを食べています。

それは、何もきれいに皿盛りしていなくても、ドブネズミやカラスにとっては最高のごちそうなんです。

でも、これはむしろ食べてくれなきゃ困るんです。

残飯に肉や魚があれば、それは死体の一部ですから、これ以上腐敗したらもっととんでもない病原菌が出てきます。

ドブネズミは、それを未然に防ぐために大至急食べているんです。

しかしその仕組みを知らない人たちは、ドブネズミがいて不潔とか汚いとか言います。

でも、そうじゃない。

間接的な餌付けをしているにも関わらず、そんな風に動物たちを輪部の葉、それだけ人間が無知なんです。

渋谷ハチ公前の交差点では、あれだけたくさんの人が信号待ちをしている中をネズミはお構いなしに活動しています。

ゴミ捨て場にゴミがあふれて、ゴミが植え込みまでいってしまう。

それもドブネズミは食べて処理するんです。

ちょっとスキを作れば、必ずそこに入り込んでくるのがこういう生物です。

そういうネズミは、寿命が尽きると、ドブ川に浮いていることがあります。

以前見た時は4匹浮いていました。

夏にそんなドブ川で撮影するなんて大変ですよ。

食べたものが胃袋から出てきそう。

だからタオルで口をおおって、ガムをかんで臭いを消し、急いで撮影します。

ドブ川は、コンクリートで出来ていますから、海のように牡蠣やアサリ、ハマグリなどの水質を濾過するための生物がいないんです。

そうすると、自然が循環しなくなるんです。

こんな状況が続けば、間違いなく現代社会でコレラのような感染症が出てくると思います。

こんなのが都会では、普通に繰り返されているのです。

だけど、こういう現実を誰も見ようとしていません。

私たちは、みんな死を食べて生きています。

そんな中で食べるということは、縁があって食べさせていただいているのですから、全てに感謝だと思います。

全てがつながり合っている、縁起ですね。

これって、本当に大事な言葉だなあっていつも思いながに写真を撮り続けています。