親鸞・紅玉篇 3月(9) 燎原(りょうげん)の火

朝だった。

奥の御用で、何か町まで買物に出た箭四郎が、

「介っ、大変だぞっ」

と、その買物も持たずに戻ってきていった。

「どうした?

「戦だっ」

「またか」

めずらしくもないように介はつぶやく。

箭四郎は、昂奮して、

「いや、こんどの火の手は、ほんものらしい。

源氏の一類が、いよいよ我慢がならずに、起ったらしい」

「ふーむ」

介も、そう聞くと、若い眼をかがやかした。

「うわさか、見てか」

「五条、四条、出陣の六波羅の軍馬で、通れるどころではない。

――聞けば、高倉の宮をいただいて、源氏の古強者、源頼政が、渡辺党や、三井寺法師の一類をかたらって、一門宇治平等院にたてこもって、やがて、都押しと聞いた」

「ほう、それは、六波羅もあわてたろう」

「勝たせたいものだ」

「…………」

介は、何か考えこんでいたが、やがて、吉光の前の住む北殿へ走って、そこで、彼女としばらく何か話していた。

範綱も、やがて知って、

「その様子では、洛中のさわぎも、ただごとではあるまい。

怪我してはならぬゆえ、十八公麿も、きょうは、学舎をやすんだがよいぞ」

と、いった。

十八公麿は、聞くと、

「気をつけて参ります。決して、あやうい所へは寄りませぬから、学舎へ、やっていませ」

と、縋(すが)った。

泣かないばかりに熱心なのである。

心もとない気もするが、

「では、気をつけて。――軍馬で通れぬようであったら、戻ってくるのじゃ」

注意して、ゆるした。

箭四郎が見てきた通り、洛中は、大路も小路も、鎧(よろい)武者と、馬と、弓と長刀(なぎなた)とに、埋まっていた。

心棒の緩んだ轍が、その中を、十八公麿をのせて、ぐらぐらと、傾(かし)いで通った。

車の前に、薙刀(なぎなた)が仆(たお)れかかったり、あらくれた武者が、咎めたり下が、十八公麿は、その中で、孝経を読んでいた。

「箭四、見たか。和子様の、なんという大胆な……」

介でさえ、舌を巻いた。

そして思わず、

「やはり、和子様にも、どこかに、源氏武者の血があるとみえる」

と、つぶやいた。

箭四郎は、袖をひいて、

「しっ」

と、たしなめた。

平家の武者の眼が道には充満しているのである。

けれど、その日は、無事だった。

次の日も、無事だった。

源三位頼政が旗をあげたという沙汰は、洛内はおろか、全国の人心に、

【やったな!】という衝撃をつよくあたえた。

だが、潮のように、宇治川を破り、平等院をかこんだ平家の大事は、数日のうちに、三位頼政父子の首、その他、渡辺党、三井寺法師の一類の首(しるし)を、剣頭にかけて、凱旋(がいせん)してきた。

その首数、二千の余といいふらされ、血によごれた具足の侍が、勝ち祝の酒に酔っぱらって、洛中を、はしゃいで歩いた。